親鸞聖人伝絵 上

第六段


法然上人が他力往生の教えを説きひろめられたので、みなことごとくその念仏の教えに帰依していったのでした。

貴族も金持ちも、阿弥陀如来の本願のことを口にしない者はありませんでした。
また貧しく学問のない人々でさえ念仏の教えを尊ばない者はありません。
法然上人のもとには身分の上下を問わずこぞって人々が集まり来て、門前、市をなすような状態でした。
直接教えを受ける弟子だけでも三百八十人もいたと伝えられています。しかし、その中で本当にその教えを理解して自分の信念として生きていたのは五、六人ばかりではなかったのでしょうか。

ある時、善信(=親鸞)聖人は、師匠の法然さまに次のように申し上げたそうです。

「私は難行・聖道の修行を捨てて易行・浄土の一門に入ってからは、念仏の教えに出遇ったお陰で迷いの闇が晴れたことに無上の喜びを感じています。法然さまのもとに集まって同じく弟子となった人は大勢いますが、お互いに本当の信心をいただいているのかわかりません。一度確かめてみたいと思います。」

法然上人のお許しが出たので、翌日集まった門弟たち三百人を前に、親鸞聖人はみなに問いかけました。

「今日は信不退(=すべては阿弥陀如来のお計らいだ、と現実をそのままにいただく心が迷いを超える道と思う立場)か、行不退(=念仏を一心不乱に口に称えることで迷いを超えて助かるのが仏道と思う立場)か、どちらが念仏の教えの本質だとみなさんはお考えなのか。帳面に書きとめるので答えていただきたい。」

ほとんどの弟子たちがその質問の意味がわからずに戸惑っている中、聖覚と信空の二人だけが信不退に着きますと言いました。

そこへ遅れてやって来た法力坊こと熊谷直実入道が「善信(=親鸞)よ、何を書いているのですか?」と尋ねました。親鸞聖人が「信不退と行不退の席に分かれてもらっているのですよ」と答えると、法力坊は「そういうことですか。では私も仲間に加えて下さい。信不退の側に着きます。」そこで親鸞聖人は信不退の方に法力坊の名前を書き加えました。

その他の数百人の門弟は、だれ一人として答えることが出来ませんでした。それは自分の力、自分が行なう善根功徳の力を頼みにする心を捨て切れず、(念仏のいわれを理解することによって得られる)不動の信念を持っていないからでしょう。

みんなが困って黙り込んでいる間に、提案者の親鸞聖人も信不退に自分の名を書き加えました。

しばらくして、師匠の法然上人が「私も信不退の側に加わりましょう」と言われたので、答えられなかった門弟たちは、ある者は感心して頭を下げ、また他の者は自分の未熟さを思い知らされ恥ずかしく思ったのでした。




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