親鸞聖人伝絵 上

第五段


師匠の源空さま(=法然上人)は、多くの弟子の中でも特に親鸞聖人に目をかけてくださりました。その証(あかし)に、法然さまから著書を書写することを許され、また法然さま直筆の南無阿弥陀仏のお名号を与えられたのでした。

親鸞聖人はその感激を『教行信証』の化身土巻に次のように書き記されました。

《法然上人と出遇えたことによって、建仁元年(1201年)愚かな僧侶である私・釈親鸞が、我が身は阿弥陀如来の本願によって照らされているのだというお念仏のいわれを知り、それまで正しいと信じ込んでいた学問や修行の一切を捨ててありのままの自分を生きて行く「人」になれました。

法然さまのお許しを得て『選択本願念仏集』を書き写しました。その書写本に法然さまはご自身の筆でその題名と「南無阿弥陀仏 往生之業 念仏為本」という言葉と、「釈綽空」という私の法名を書き加えて下さいました。

また、法然上人のお姿を写生することも許されました。その肖像画に、法然さまは「南無阿弥陀仏」のお名号と、善導大師の「称名念仏する者はみな必ず往生をとげる」という言葉を書き添えて下さいました。そこで私は綽空という法名を善信に改めることになり、その名前も法然さまに書いていただきました。師匠の法然さま73歳の時のことでした。

『選択本願念仏集』は、真宗のかなめ、南無阿弥陀仏のこころが、余すところなくおさめられた、この上ない貴重な聖典なのですが、それを拝読し、しかも書写を許された者はほんのわずかな人たちだったのです。なのにこの私はそれを許され、肖像画まで許されたのは、お念仏が私を導いて下さったからに他なりません。うれし涙をこらえつつこの由来を書きとめています。》




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