日記帳


■2015年 11月分■
11月1日(日) 午後1時30分〜3時30分 宗恩寺報恩講。
最初に御伝鈔下巻の末を拝読。2時15分から法要。正信偈真四句目下、念仏讃淘五、和讃「弥陀成仏ノコノカタハ」次第六首、五遍反、回向「我説彼尊功徳事」。御文「大坂建立」。組内の2ヶ寺の参勤をいただいて勤まった。3時過ぎから法話。
11月2日(月) 午後4時30分 儀式・法要部の会合(於 難波別院)。引き続いて6時から准堂衆会役員会。
11月3日(火・祝)
11月4日(水)
11月5日(木) 午後1時過ぎ 堺市から高石市を走行中、2度にわたり、高石市からの緊急速報メールが入る。「テストです」と書いてあるが、何事か?。そういえば、中学生や高校生の行列も見える。今日は防災の日で、高石市で「津波地震総合避難訓練」を実施していた最中に私が通りがかったと判明。
午後7時〜 坂東曲習礼(於 慧光寺)。22名の会員が参加。
天王寺区仏教会例会を欠席したが、事務局に連絡を忘れてしまった。
11月6日(金)
11月7日(土) 北区での葬儀が入り、午後2時からの組内寺院の報恩講に出仕できなくなった。
夜 寝屋川でバイキングの夕食と入浴。
11月8日(日)
11月9日(月) 午後7時30分〜 相承学薗(於 専光寺)
11月10日(火) 午後6時30分〜 第二組有志の報恩講習礼(於 宗恩寺)。16日に勤まる二組の報恩講を前にして、報恩講に関するさまざまな事をおさらい。6名が参加し、荘厳や装束、次第、そして実際のお勤めの稽古を行う。
閉会後、参加者のうち2名に誘われ、外食。
11月11日(水) 坊守と一緒にドライブ。明石市・林崎松林海岸の「ムーミンパパ」で食事をしようと訪れたが、営業していない。「9日〜11日 臨時休業」の看板が。
大蔵海岸の「龍の湯」で昼食と入浴。
11月12日(木) 午後3時30分 バイクでソロツーリングに出発。阪神高速〜神戸淡路鳴門道を経由して、淡路島南ICで一般道へ。「道の駅 うずしお」に立ち寄り、島の西海岸を通る「淡路サンセットライン」を走る。途中、湊のGSで給油を行い、「パルシェ香りの湯」で入浴と夕食。午後9時30分に帰宅。走行距離260km。
11月13日(金) 午後 単車のオイル交換のため、ディーラーへ出向く。帰りは雨になった。
午後6時〜 声明の稽古。
11月14日(土)
11月15日(日) 午前10時集合 浄念寺 宗祖親鸞聖人750回御遠忌法要に出仕。雨の予報が外れ、天候が回復。予定通り、庭儀参堂列も実施できた。
法要後、借り受けていた備品を、准堂衆会の備品担当と難波別院に返却して帰宅。
11月16日(月) 午後5時30分〜 第二組報恩講(於 即応寺)。
11月17日(火) 午後2時〜 慧光寺報恩講 逮夜と御伝鈔。逮夜は入内し、二首目と六首目の巡讃をさせていただいた。御伝鈔では初夜勤行に参加。
11月18日(水) 午後1時30分〜 慧光寺報恩講 日中。伽陀師をさせていただく。外陣のお勤めを離れて聴くことが出来、自分が御後をする時の課題を考えることができた。
11月19日(木) 午後7時〜 声明の稽古。
11月20日(金) 午後6時〜 京都で本山報恩講出仕者との食事会。風邪気味なので、二次会には行かず、すぐに帰宅。
11月21日(土) 声明の稽古の予定だったが、生徒さんが風邪のため中止に。
11月22日(日)
11月23日(月・祝) 朝 37.7℃の発熱があり、予定していた法務を全て休ませてもらう。
夜 体力をつけようと、ファミレスでしゃぶしゃぶ食べ放題を注文するが、基本メニューだけでも量が多く、「食べ残し禁止」を忠実に守ったため、食べ過ぎになった。そのためか、しゃっくりが始まり、3時間以上止まらなかった。
11月24日(火) 喉が腫れていて、大きな声が出ない。法務も全部休みたかったが、交野市での納骨だけは勤める。墓地に着いた途端にしゃっくりが再発。
午後6時30分〜 第二組若手の輪読会(於 宗恩寺)。勉強会でもしゃっくりが再発。閉会後の食事会にや行かず、家で静養する。
11月25日(水) サイドカーを車検に出す。
11月26日(木) まだ声がよく出ないが、納骨のおまいりがあり、風邪を押して法務に出る。
11月27日(金) 夜 本堂の仏花の立て替え。
11月28日(土)
11月29日(日) 夜 住之江で入浴。
11月30日(月) 午後2時〜 天王寺区仏教会納税組合主催「年末調整説明会」(於 四天王寺)。納税組合長として、会場の準備と司会を担当。


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