日記帳


■2008年 12月分■
12月1日(月) ご門徒さんんが亡くなられ、明日にお通夜を勤めることに。明日の内局巡回で発言予定だったが、出席できなくなったので、急ぎ「意見書」を書くことに。そのため、今日の生け花教室と准堂衆会学習会は欠席。
12月2日(火) ほぼ徹夜で「意見書」を書き上げ、先生に内容を点検していただく。
4時30分 内局巡回会場の難波別院へ。お通夜があるので、「意見書」を託して、途中で退席。
12月3日(水)
12月4日(木) 午後7時〜 天王寺区仏教会例会。
12月5日(金) 午後4時30分〜 歯科受診。
午後6時〜 教団のあり方を考える学習会に出席(於 難波別院)。講師は水島見一師。曽我先生のエピソードが興味深かった。「校正の仕事が滞っているので」と、懇親会を一旦は断ったのだが、先輩から「今日は仕事せんでもいい」と許可をいただき、参加することになった。
12月6日(土) 午後6時30分〜 西宮の叔父の月命日。
12月7日(日)
12月8日(月)
12月9日(火)
12月10日(水) 校正作業もあり、二組の懇親会は欠席。
12月11日(木)
12月12日(金)
12月13日(土) 午後7時30分〜 相承学薗(於 慧光寺)。
12月14日(日)
12月15日(月) 午後3時30分〜 教化センター研究班懇談会(於 難波別院)。主任の到着が遅れたため、代わって現況報告をすることになった。大谷派の伝統的な儀式は相伝教学に基づいていること、その教学の衰退と共に現在では儀式についてどう考えて良いか分からなくなっていることを説明した。こんな話、誰も聞きたくないだろうな、と心配したが、一部の人からは反応があり、ほっとした。
引き続き、教学研修院の報恩講、講演会、そして懇親会。
12月16日(火) 午後5時〜 准堂衆会役員会。会議室が施錠されていて、開けてもらうのに手間取った。
12月17日(水) 午後5時〜 第二組の教化委員会(於 行圓寺)。次年度の第二組同朋大会の記念品に「同朋唱和勤行集」を提案したら採用された。しかし、続いて提案した「清沢満之の”我が信念”をテキストにした聞法会」案は「取っつきにくい」という意見があり却下され、「正信偈」がテーマになった。
12月18日(木)
12月19日(金) 午後5時〜 生け花教室。
途中で抜けて、区仏教会の理事会に出て、また教室に戻る。
12月20日(土)
12月21日(日) 箕面(千里中央の北)で年忌法要。
続いて守口で本葬儀。式は1時間30分の予定だったが、会葬者が多く2時間になった。
午後7時〜 声明の稽古。登高座について復習。
12月22日(月) 午後6時〜 「帰敬式執行に関する講習会」指導者研修会(於 難波別院)。
12月23日(火・祝)
12月24日(水) お通夜のため、今日の「指導者研修会」は欠席。
午後に自家用車で宝塚へおまいりに行ったが、大阪市内方面への帰り道が大渋滞。お寺に戻る余裕もなく、装束を持たないで通夜の式場へ向かったが、それでも開式を5分ほど過ぎて着いた。身内だけの葬儀なので助かった。
12月25日(木) 葬儀式と還骨勤行のため、教化センターでの会合を欠席。
午後7時〜 習字教室。
12月26日(金) 一昨日の道路渋滞に懲りたので、今日の泉南郡熊取町へのおまいりは、JR熊取駅前でレンタサイクルを借り、片道2キロをサイクリング。
午後 生け花教室。
12月27日(土) 午後7時 声明の稽古。
12月28日(日) 今日から法務員さんが休暇に入るので、1月5日まで一人で法務を行わなければならない。
12月29日(月)
12月30日(火) 夕方から本堂の仏花を立てる。本日は両尊前だけを生けた。
12月31日(水) 午後 残りの花を立てる。
相伝叢書の「深解別伝」の校正をしているうちに年を越すことに。年内に年賀状は一通も出せなかった。


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