日記帳
■2003年 9月分■ |
9月1日(月)…「お地蔵さん」 |
私が小学生のころは、近所の地蔵盆で盆踊りをして、褒美にお菓子をもらったものだ。 ところがバブル景気のころから、地上げで長屋が取り壊され、お地蔵さんも撤去されるようになった。 地蔵盆の時期には呼ばれてお地蔵さんの前で勤行をさせていただいていたが、いつしか1ヶ所だけになっていた。 そのお地蔵さんの立つ区画が売却され宅地になることになったが、代替地もなく世話人会の後継者もないのでどうしたものか、と前日にお地蔵さんの世話方から相談を受けた。 「近くの総本山○×寺では、納めるに際してとても負担できない金額を言われるらしいので、宗恩寺で引き取ってもらえないか」というお尋ねであったが、当寺は阿弥陀如来一仏を奉安する寺院なので、地蔵尊はお受けできないとひとまずは断った。 住職が直々に総本山○×寺に聞きに行ったら、妥当な志納金で引き取り、いつでもおまいりに来れるような形でお守りしますよ、という返事であった。 そのことを相談に来られた世話人さんに伝えたら非常によろこんでくださった。 真宗では、お地蔵さんをまつる風習はないが、地蔵盆の風習が消えてしまうのをただ黙って見ているのもどうか、と思う。 |
9月9日(火)…「バイクが不調」 |
難波別院で掛役の稽古。3ヶ月ぶりに動かすバイク(VFR400R)で会場へ。 走り始めてすぐに、エンジンが”息つき”をするのに気付く。 アクセルを大きく開いた時に回転数の上昇が遅れ気味でガス欠のような症状が出る。 自宅に戻ってから4本ある排気管に触れてみたが、全部熱くなっているので、4気筒とも生きてはいる。 キャブレターのメインジェットの目詰まりか。キャブの分解・清掃となるとちょっと手間だな…。 前回の走行後、キャブレターからガソリンを抜く作業をいい加減に済ませた報いであろうか。 |
9月10日(水)…「漢文のお経がなぜ悪い?」 |
9月8日朝日新聞朝刊(大阪版)に、パンク坊主と称する真宗大谷派の女性僧侶へのインタビュー記事が掲載されていた。 ネットで検索したら、ご自身でHPも作っておられた。 「中国は中国語に訳して読むわけですが、日本だけが、中国語の漢文のそのままを、音だけ拾って読むという読経をしているのですから、坊主も意味を確認して読んでいるのでもないなら、ましてや後ろで座って聞いている一般の人たちがわかる筈がありません。」(HPより) 「お経を現代語訳で読んだら『ありがたくない』と(檀家の反発を買った)。」そうだが、「お経も意味がわかってこそ、ありがたいと思うんですけど」と、あくまで旧来の儀式には否定的な立場である。 でも、「歌詞」が理解できないことだけで読経を否定するのはいかがなものでしょう? ビートルズを始め洋楽が日本でも人々の心を掴みヒットしています。でも、みんながその歌声を聞き「歌詞」を理解してからレコードを購入したのでしょうか? 歌詞は判らなくても、その曲から伝わってくる「何か」があるのでしょう?そして、レコードの歌詞と訳詞を読み、さらに深くその曲を味わうものじゃないですか。 年末に歌われるベートーベンの第九(歓喜の歌)はドイツ語で、その歌詞の意味を知っている人がどれほどいるでしょう。でも、日本で愛されている「外国の曲」の代表ですよね。 外国のロックバンドの名曲を、歌詞を日本語直訳してカバーした「直訳ロック」なるものが一時ブームになりました。でも、原曲よりもいいという評判は聞きません。 パンク坊主さんはこれらの事実をどう説明されるのでしょうか。 意味が分からなくてもありがたい(感動する)音楽があります。仏教の声明も音楽です。その曲が気に入れば、自分から進んで歌詞の意味を勉強するでしょう。 寺院の法要では、ただ漢文のお経を読誦するだけではありません。 親鸞聖人はお経のこころを「和讃」という日本語の歌にされました。 蓮如上人はお経のこころを手紙にしたためられました。それが御文です。 漢文のお経に続き、和讃が勤められ御文が拝読されます。さらに「法話」でわかりやくく解説しています。 10年ほど昔になりましたが、宗恩寺住職が、檀家さんと連れだって東本願寺へ参拝に行きました。 初めて本山の御堂に響く勤行を耳にされた檀家さんがしみじみと「お経って、いいもんですね…」と言われました。 パンク坊主さんが「お経の現代語訳による法要」や「ダンスによる法要」を実験される勇気には敬意を表します。 「ダンス」を理解できない人もあれば、意味の分からない漢文のお経の調べによって何かを感じられる方もあるのです。伝統的な儀式で仏教の世界を表現しようとしているのを一方的に「ダメな物だ」と決めつけて欲しくない、ということを感じました。 |
9月13日(土)…「舞踊鑑賞」 |
今日、天王寺中学校同窓会の理事さん、つまり私の中学の先輩が国立文楽劇場で舞踊のリサイタルをされた。 私とは29期も離れたその先輩とは今年の同窓会総会でお会いしたのが初めてであった。 公演のチケットをいただき楽しみにしていたが、檀家さんのお葬式などが重なり、会場に着いたのは終演直前だった。 終演後、同窓会の前会長と落ちあい、楽屋へ挨拶に伺った。 大舞台で芸を披露する快感はたまらないだろうな、と羨ましく思った。 |
9月15日(月)…「タイガース優勝」 |
甲子園でサヨナラ勝利を収めたものの、マジック対象のスワローズの試合が敗戦するまで約2時間「おあずけ」をさせられたが、ファンにとっては些細なことだろう。 昨日、泉北の泉ヶ丘駅前のショッピングモールの広場に提灯山が設けられていて、「いっしょに優勝を祝おう」と書かれた幟が吊されていたが、一昨年にバファローズが優勝した時はこんなには祝福されなかったよな…やはりパ・リーグは「太陽」ではなくて「月」なんだな…と感じる今日この頃。 優勝を目前にして、テレビで盛んに道頓堀へのダイブ中止を呼びかける報道がされていたが、あれは逆に煽っているとしか思えない。 NHKは「優勝決定後の道頓堀ダイブを放映しないことにした」と発表したが、「道頓堀ダイブ」をさんざん宣伝しておいて責任逃れでは?と思う。 日本シリーズは「実力のパ」をアピールして欲しいので、パ・リーグの覇者ホークスを応援しようかな。(今日の時点ではマジック9だが、優勝は堅いだろう。) |
9月17日(水)…「セミナーに参加」 |
大谷大学 湖西キャンパスのセミナーハウスで開催された「生涯学習講座」に参加。 大谷大学の本部は京都の烏丸北大路にあるが、私の卒業後に行われた校舎の増・新設計画が実行され、行き場を失った体育館や部室棟がグラウンドに建設された。 狭小となったグラウンドの代替地として、遠く離れた滋賀県の雄琴に新しいグラウンドとセミナーハウスを設けられたのである。 初めて湖西キャンパスを訪れたのだが、眼前に琵琶湖が広がり、琵琶湖大橋や対岸の発電用風車が見える絶景の環境である。 今回の講座は「人生の物語をふりかえる−臨床心理学からのアプローチ−」というタイトルで、佐賀枝教授による「自己分析」の様々なワークの紹介であった。 参加者は15名ほどで、男女比は半々であった。 「自分の心を絵解きする」「自分と周囲の人々を動物に例えたら?」「こころの取扱い説明文を考える」といった課題に取り組んだり、中島みゆきの「誕生」という歌を聴いたり、「エゴグラム」という自己分析ツールの話など、あっという間の2時間30分であった。 今回のテーマは「大切なのは、自己を知ることである。ダメな部分を何とかしよう、とするのではない。そのままの自分を認めることです」ということだと私は理解した。 帰りに湖岸の雄琴温泉で湯につかろう…と寄り道したが、スーパー銭湯が閉鎖されていて、入浴できずに帰阪となった。 |
9月19日(金)…「寿司屋にて」 |
夜、中学校の同窓会の先輩(会計監査)からお呼びがかかり、「くら寿司」で待ち合わせ。 店の外にまで順番待ちの人が溢れていて、30分ほど待たされることになった。タイガース優勝を祝し、通常一皿100円を88円にしてのセール中であったのである。(どうせなら星野監督の背番号にしてよ〜) 精算の際、最初からカウンターに数字が表示されていた(0に戻されていなかった)が、くら寿司を利用するのは今回が初めてであった私は一抹の不安を覚えつつお皿を枚数計算器に流し込んだ。 自宅で一通り夕食を終えた後の「お呼び」であったので、先輩の半分ほどしか食べていない。ところが先輩が21皿に対して私が31皿……先輩の食べるペースを見ながら(先輩のおごりなので遠慮しながら)食べていたので、異常な数値である。 店員に調べてもらったら、「前の数字が残っていたとしたら、お客様は6皿になるのですが…」という返答。 6皿ということもあり得ないので、10皿ということで決着。次からはお互い気を付けましょう。 |
9月20日(土)…「売り切れ」 |
市営地下鉄の車内で「市営交通創業100周年」の記念誌を発売中という広告を見て駅の売店に立ち寄ったら「明日の入荷で、発売していません」と断られたのは一昨日(18日)。 今日ふたたび駅の売店で尋ねたら「売り切れ・完売です」とのこと。 広告では「交通局にハガキで申し込めば購入できます」と謳っているが、果たして希望者全員に行き渡るのであろうか? |
9月26日(金)…「報恩講の稽古」 |
夜、准堂衆会前会長のお寺で、来月天満別院で勤まる報恩講に出仕する准堂衆の習礼(しゅらい=稽古)があった。 私は逮夜に出仕することになっているので、日中出仕者の習礼の際に調声人の役をさせてもらった。 普段は、自分よりも上席の人の声と同じ音程を出す事に注意すればよいのだが、調声人(導師)は最初の一声を出すので、誰も頼りに出来ない立場である。 稽古とはいえ、経験のなさを実感させられる。 |
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