※『宗恩寺だより』第3号〔2003(平成15)年10月〕より
盂蘭盆会法話
住 職 池田太郎
◆すべては「縁」で成り立っている◆
 お釈迦様の仏教は、(お経の本で)呪文(じゅもん)を教えられたのではないんです。今日も皆さんとお勤めした正信偈(しょうしんげ)も呪文をあげているのとは違うのです。大きな哲学です。般若心経も(呪文ではなく)難しい哲学です。「色即是空 空即是色(しきそくぜくう くうそくぜしき)」というのは、この前にお話しした「縁(えん)」ということです。縁があってみんな存在するんだよ、ということをおっしゃっているんですね。ご主人がおられるから奥様がおられる訳です。結婚してないのに「私、妻です」なんて言えないのです。結婚してもないのに「私、夫です」なんて言われないのです。あちらがおられるからこちらが存在する、それが一つの縁です。すべてのものが縁で成り立っているとお釈迦様はおっしゃられているのです。

◆「縁」は思い通りにならない◆
 ところが、縁というのはなかなか思い通りにならないものです。何事が起こるか分からない。それをお釈迦様は「一切皆空」、「空(くう)だよ」…仏教がインドから中国に渡ってきて翻訳される時に「空」という字を当てなさったから、日本に渡ってから「何でも空(から)っぽだ」とか「しょうもない」…虚無的な「何(なん)にもない」「何をしても損だ」という教えのように思われたのですが、お釈迦様の教えはそうじゃないんです。すべては流動的だが、「つまらん、つまらん」と言うこともないよ。それから「こうだ」と握って離さないような「我(が)」の強い人がありますが、その「我」はだめなんだよ、すべてみな変わっていくんだよ、とおっしゃっているのです。

◆「縁」を知り「こだわり」を捨てる◆
 昔の中国の偉い人は「君子豹変(くんし ひょうへん)する」…「こりゃ、いかんな、こちらの方が正しいな」と思えば豹のようにシャッと態度を改めなさる。それが、我が強かったら変わらないのです。「この方が皆のためになる」と思えばすっと変わる…そういう人は君子=物の分かった偉い人だ、ということなのです。それが仏教の教えになっているのです。お釈迦様は私たちにどうやって生きていけばいいか、どう考えていったらいいかを教えて下さったのです。

◆「お盆」とは◆
 お盆(ぼん)も、お釈迦様のお教えを大切に頂く行事なのです。
 お盆になったらご先祖様が家に帰ってこられる、という言い方がされますが、ここでまた問題が起こるのですよ。「家の仏壇に帰ってこられる」のか「お墓に帰ってこられるのか」なんて言い合っているのを見ると、もう勝手にしなさい、と思うんですが…。
 あなたがたの胸に、心に帰ってこられるんですよ。
初盆(はつぼん)の檀家さんのところで、小さいお孫さんに話しをしたのですが、
 「おじいちゃんに無理言って何か買ってもらったことがあるでしょう?お土産をもらって喜んだことがあるでしょう?」
 「うん」
 「それを思い出しなさい。おまいりで足がしびれたついでに、思い出しなさい。それがお供養になるんですよ。今日はおじいちゃんを思い出す日です。あの世からこっちを心配してもらっていることを思い出しなさい」とお話ししてるんです。

◆迷っているのはどっち?◆
 「霊魂(れいこん)は不滅ですか?」と聞かれることもあるのですが、不滅でもどうでもいいんです。私たちが思うことが大事なんです。こっちがちゃんと思っていないから、亡くなられた方が迷うんです。「幽霊になりはった」「迷いはった」って気にされていますが、むこうが迷ってなさるのと違うんです。こっちが迷わせているんです。
 年忌(ねんき)法要の時に「うちの亭主、ちゃんと成仏してますやろか?」と聞かれたこともあります。
 「そんなもん、あんたが成仏させてへんねやで」って私は思いました。結局、何か思い当たることがあるんでしょう。
 「(亡くなったあの人は)業(ごう)な人でしたさかいな」…そう言われるあなたの身の上に何か都合の悪い出来事が降りかかってきたのでしょうね。

◆お念仏のこころ◆
 幾つになっても、私たちはお盆にはご先祖様を思い出させていただくんです。それが「帰命無量寿如来(きみょうむりょうじゅにょらい)」=計り知れない仏様に手を合わせます、ということなのです。
 本当の他力のナムアミダブツの御教え(みおしえ)を聞いていたら、「あちらから私を心配して下さっている」と思うのです。こちらから火を焚いてお迎えするんじゃございません。
 「何と何をお供えしたらよろしいんでしょうか?」とよく聞かれますが、私は「あなたのお元気なお姿、それからお子たち、お孫さんたちがみな揃って『ナムアミダブツ』とお仏壇におまいりして下さるのなら、それが一番のお供えですよ」とお話しするんです。
 毎日「つまらん、つまらん。早よ死にたい、早よ死にたい」と言いながらおまいりしていたら、ご先祖様は「何言うてる、早よ来てくれんでもいいわい」と言われていますよ。


※2003年9月23日 宗恩寺彼岸会並びに永代経法要での法話の一部です。




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