ロードレース(詳細)

世界選手権(グランプリ)

世界選手権(グランプリ=GP)は排気量によってクラス分けがあり、500t以下のGP500、250t以下のGP250、125t以下のGP125の3クラスがあります。

2002年度からGP500クラスの規則が変更されて、4ストロークエンジンの場合のみ排気量990tまで許されるようになり、「MotoGPクラス」に改称されました。

元々GPでは、エンジンは2ストローク、4ストロークを問いませんでした。昔は2スト対4ストの争いが見られたのですが、同一排気量ならば構造的に4スト車より高出力が出る2スト車が次第に上位を占めるようになり、1979〜82年に活躍したホンダのNR500を最後にGPでは長らく2ストエンジンの独壇場が続いてきました。

90年代のGP500クラスは、ホンダを筆頭にヤマハ、スズキといった日本のメーカーが威信を懸けて開発したバイクが他を圧倒するようになり、世界GPでありながら日本の3大メーカー以外にはイタリアのCAGIVA(カジバ)が孤軍奮闘している状態になっていました。

また、オートバイメーカーがコストを度外視してレースの為に特別に生産した「ワークスマシン」の進歩はどどまることを知らず、GP500クラスでは一般に市販されるレース車両や市販車の改造マシンでは太刀打ちできないほど性能に開きが生じ、やがて競技用車両自体が一般ユーザー向けにはほとんど生産されなくなったこともあり、参加台数が減少していきました。

既に10年ほど前から日本選手権(国内レース)のGP500は廃止されて開催されていません。(後述の「スーパーバイク」が現在の国内最高峰のレースとなっています。)

今回のGP500からMotoGPへの変更によって、4ストエンジンを使用するスーパーバイクに参戦している外国のメーカーのGP復帰が期待されます。



GP250、GP125の中・小排気量クラスでは、現在もレース用の車両が各メーカーから比較的安価で市販され続けていることもあり、メーカーと契約を結んでいない「プライベーター」と呼ばれるライダーがワークスマシンに交じって多数参加しています。

またイタリアのアプリリアやデルビといったメーカーが日本車を上回る性能を見せ活躍しています。



以前にはGP350、GP80、GP50のクラスがありましたが、GPとしては現在は廃止されています。

1987年度GP500クラス総合優勝(世界チャンピオン)
Wayne Gardner(ワイン・ガードナー)

マシンはHONDA NSR500

1991.3.23
Suzuka Circuitにて

8耐(鈴鹿8時間耐久ロードレース)

毎夏、三重県の鈴鹿サーキットで開催される耐久ロードレースは、2002年度で第25回の大会となりました。

かつては10時間耐久の時もありました。

耐久レースの原則は、周回数が最高であっても完走が出来なければ、つまりレースの終了を知らせるチェッカーフラッグが振られているゴールラインを通過できなければ優勝にはなりません。

速さだけでなく、レース中に発生するトラブルやアクシデントをチームワークで克服して「完走」することに大切な意味があるレースなのです。

※ルールの改正があって、鈴鹿8耐の場合は最後にゴールを通過出来なくても完走が認められることもあります。

8耐の前後は世界GPも開催されないので、GPライダーも多数参戦しています。

(上)Eddie Lawson(エディー・ローソン)
(下)平 忠彦

マシンはYAMAHA YZF750

1990.7.28(予選)

この年、世界GPチャンピオンのローソン選手とペアを組んだ平選手は、8耐6度目の挑戦にして悲願の初優勝を飾りました。

1台のマシンを交替で走らせるのが耐久レースの特徴です。
途中で給油やタイヤ交換も行います。


20年ほど前は、4スト750t以下、2スト500t以下の市販車のエンジンを使用する以外には大幅に改造が許されていた「TT−F1」というクラスのマシンによって競われていました。

「ヨシムラ」「モリワキ」などのプライベーターが、独自に製作したマシンで果敢にオートバイメーカーの「ワークスマシン」に挑戦し互角の勝負を繰り広げた時代がありました。

1987年にホンダから「VFR750R(RC30)」が市販されました。当時で148万円もしましたが、これはホンダのワークスマシンに限りなく近い究極のレプリカモデルでした。さらにRC30をベースにしてモリワキから競技車両の「Zero-VX7」が発売されて、ワークスマシンが手に入らないプライベーターもこぞってRC30やZero-VX7で8耐に参戦しました。
(なお、8耐に挑戦できるのは、実績を積み重ねて国際A級ライセンスを与えられたライダーに限られています。)

しかしワークスマシンとの性能差は大きく、この頃をピークに8耐の参加台数は減少に転じてしまうのでした。

やがてTT−F1クラスはより市販車に近い状態のマシンで行うSB(スーパーバイク)によるレースへと衣替えしていきました。

今年(2002年)はさらにMotoGP用の先行開発マシンなど4種類のクラスが混走するレースとなり、BMWやAPRILIA(アプリリア)のマシンも加わって多種多様なマシンが参加しました。



下の写真は、8耐の前哨戦といわれる「鈴鹿200qロードレース」のTT−F1クラスの車両です。(1990年撮影)

このレースは約6qのコースを35周(200q)走行するレースで、スプリントレースでありながら最低1回は給油の為にピットで停止をしなければなりません。

スーパーバイクやTT−F1を始め競技用車両には通常、灯火類は装着していないものなのですが、8耐に出場する車両はレース終盤にヘッドライトとテールランプを点灯する義務があるため、それらの装備が必要となっています。

この2台とも、灯火類を装着してこの年の8耐に出走しています。
(宮崎選手は、大島 正選手とのペアで90年も8耐2位入賞を果たしました。)

A宮崎祥司+HONDA RVF750(90年型)
D岩橋健一郎+HONDA RVF750(89年型)

1990.6.10
インターナショナル鈴鹿200qロードレース決勝にて

スーパーバイク(SB)

4ストエンジンの市販車をベースにした改造車で行います。

SBの規則の特徴は、排気量の上限が4気筒は750tまでですが2気筒ならば1000tまで許されていることです。

構造的にレース向きでない2気筒車でも4気筒車と互角にレースができるので、多様なマシンが参加できるようなルールになっています。

出来るだけ元の車のイメージを残した外観に仕上げられているのも大きな特徴です。

日本国内ではGP500の伝統を引き継いでいることもあり、決勝は1回のみの方法で開催されていますが、国際選手権では第1ヒート、第2ヒートの2度決勝を行い、総合成績で勝者が決まります。

海外では以前から普及しているクラスです。日本の4メーカー(カワサキ・ホンダ・ヤマハ・スズキ)に交じってイタリアのDUCATI(ドゥカティ)やbimota(ビモータ)などのマシンがバトルを繰り広げています。


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