日記帳


■2013年 7月分■
7月1日(月) 午後6時〜 准堂衆会役員会(於 難波別院)。
7月2日(火) 午後6時30分〜 准堂衆会主催の「大阪声明塾」第12期生の開講式。所用で欠席の会長に代わり、主催者としての挨拶を行う。
7月3日(水)
7月4日(木)
7月5日(金)
7月6日(土)
7月7日(日) 夜 9日開催の准堂衆会総会資料の編集作業。明け方4時過ぎに完了。
7月8日(月) 午後3時〜 准堂衆会役員会(於 難波別院)。総会資料のコピーと製本作業。
7月9日(火) 午後5時前に難波別院へ。
午後6時〜 准堂衆会定期総会(於 難波別院)。今年は7名の新会員が入会。
会長の勇退に伴い、役員(会長・副会長)の改選。2人いる副会長のうち、私が会長に上がり、新たに1名を副会長にするという執行部案が通り、来年の6月末までの任期で会務を担当することになった。
相承学薗は欠席。
7月10日(水) 午前中に教務所から総会資料の提出の催促があり、会長交代の報告を兼ねて午後に教務所、別院事務所および本堂事務所へ出向く。
7月11日(木) 午後7時〜 隣寺の若院さんと声明の稽古。
7月12日(金) 午後6時〜 中国浄金教研究会の講義を聴講(於 難波別院)。講師は元大谷大学の教授・三桐慈海師。本年は曇鸞大師のお話。
閉会後は先生を囲んでの食事会。
7月13日(土) 午後4時30分〜 第二組推進員養成講座修了者を囲んでの食事会(於 がんこあべのルシアス店)。
7月14日(日) 午後6時〜 准堂衆会正副会長会(於 宗恩寺)。
7月15日(月・祝) 午後5時〜 近畿連区准堂衆会の研修会・総会資料作成。会計の藤岡氏に手伝ってもらい、日本橋のコピー店で印刷・製本を行う。
7月16日(火) 午後6時〜 准堂衆会のキン役学習会(於 難波別院)。新会員を迎えての初めての学習会なので、会の設立の大まかな歴史のお話をさせてもらった。
閉会後、堺浜楽天温泉「祥福の湯」へ。
7月17日(水) 近畿連区准堂衆会の事務局をしている私のところへ、欠席の連絡が届くようになっている。朝からたびたび連絡は入り、長浜教区の担当へ転送する一日となった。
7月18日(木) 午前7時45分〜 滋賀県の五村別院へ向けて出発。
午前11時〜 近畿連区准堂衆会の役員会(於 五村別院)。いつも緊張させられる会議だが、今回はスムースに議事進行ができた。
午後12時30分〜 近畿連区准堂衆会研修会・総会。総会も無事終了。
午後6時〜 懇親会(於 長浜ロイヤルホテル)。二次会が12時まであり、それから大阪の会員2名をそれぞれのお寺まで送って帰阪したので、帰宅できたのは午前2時を過ぎていた。
7月19日(金) 午後6時30分〜 第二組若手の勉強会(於 紹隆寺)。今回も『般若心経』に学ぶ。閉会後は食事会。
7月20日(土) 午後6時 中央声明講習受講者との稽古(於 宗恩寺)。早く終わるつもりだったが、10時過ぎまで稽古が続いてしまった。
7月21日(日)
7月22日(月) 午前 明日の会議の資料作成。
午後2時〜 空き時間ができたので、アベノでスタジオジブリのアニメ『風立ちぬ』を観賞。この映画で宮崎監督は、敵・味方なく「生きようよ、生ある限り」と呼びかけている、と受け取った。「もののけ姫」では「生きろ」というキャッチコピーと、劇中のアシタカの「共に生きる道はないのか?」という問いかけがあったが、今回はもっと強く、「生きねば」と訴えている。たった島ひとつのために自分も相手も生きてゆけないのなら、そんな島はくれてやる!島ひとつのことで、生きる、という望みを捨てるのか!と言っているのだと思った。映画に後押しされて、「私は生きたい!あなたも生きたいでしょう!」と言うことが出来た。
午後5時〜 天王寺区仏教会役員会・食事会(於 福寿司)。
7月23日(火) 午後4時〜 大阪教区出版会議(帰敬式に関する冊子)幹事と、教務所事務方との打ち合わせ(於 難波別院内大阪教務所)。
午後5時〜 准堂衆会役員会。
午後6時〜 准堂衆会研修会〔浄金和讃〕。講師は藤井善隆師。
京都での相伝学薗と重なったので、そちらは欠席。
7月24日(水) 午後6時30分〜 大阪声明塾特別講義(於 難波別院)。講師を囲んで、閉会後に食事会を開催。
7月25日(木)
7月26日(金)
7月27日(土)
7月28日(日)
7月29日(月) 午後4時〜 出版会議(帰敬式の冊子編集委員会)(於 難波別院)。
午後7時〜 第二組組会(於 佛足寺)。
7月30日(火) 午後2時30分〜 習字教室。
午後6時〜 大阪教務所長歓送迎会(ホテル日航大阪)。
7月31日(水) 夕方 姫路へお寺の通夜弔問に。


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