日記帳


■2011年 8月分■
8月1日(月) 午後7時〜 相伝文書『高僧和讃講記』の校正作業(於 圓明寺)。今日も午前2時まで作業。
8月2日(火) 午後 コーナンで買い物中に、組内の坊守様が亡くなられた、と連絡が入る。根菓餅と紙華などの荘厳を依頼される。
8月3日(水) 午後 白い蝋燭を購入し、銀色に塗装して”銀濃(ぎんだめ)”にする。続いて、スーパーで、根菓餅に貼り付ける供物になる乾物類を購入。
西宮の叔父の月命日に向かう途中、松屋町で、紙華製作に必要な金・銀のボール紙を購入。
妻が関東の友人に会うために不在なので、今晩は一人で犬の散歩。散歩に”不参加”が続いていたトトが、こんな時に限って”参加”表明。一人で3匹を連れて行く。
帰宅後、根菓餅の製作に取り掛かる。夜通し作業して、翌朝6時過ぎに2対完成。
8月4日(木) 徹夜明けで2時間仮眠を取り、気を入れ直して紙華を作成。続いて、四方の四隅に付ける「方立て」を作り直す。
午後2時過ぎにようやく全ての作業が終わり、午後3時に葬儀を行うお寺へ届けて荘厳する。
野卓に大小二種類の三具足が置かれていて、どうも落ち着かない。住職さんの思いがあるのだろうから、そのままにしておく。
一旦帰宅後、お通夜のために午後6時過ぎにお寺へ再訪して、組内の他の住職と相談の上、二種類ある三具足を、一つだけに直すことに。
急遽お通夜と葬儀の座配を依頼される。いきなりの座配の指名だったので、間衣で勤めることに。
座配は未経験なので、燃香や焼香の準備をしながら司会進行を考えているうちに開式の刻限が来てしまった。
葬儀社からマイクを託され、立燭の点検をせずに開式。
開式してから内陣を見ると、野卓の蝋燭にも点火されていた。一方、祖師前は蝋燭が灯されておらず、ちぐはぐに。葬儀社は野卓のことがわからないので、きちんと指示を出さないといけないのだが、司会のことで打ち合わせもしなければならず、荘厳と両方を行うのには無理があった。
お通夜の司会進行も今ひとつうまく行かなかったが、勤行終了と同時に一般焼香も終わったので、こちらはなんとか及第点といったところ。
通夜の勤行後、葬儀の次第を導師と共に打ち合わせる。
午後8時〜 『高僧和讃講記』の校正作業(於 圓明寺)。座配を勤めるにあたっての疑問点を確認できて助かった。
午前2時前に帰宅して、未明まで、葬儀の次第と、焼香順位の確認ボードを作成し、装束等の準備をする。
8月5日(金) 短い就寝時間の上、蚊に刺されて熟睡できなかった。
朝食抜きで午前8時45分に式場に出向き、焼香順位と弔電の披露順位を確認。
昨日の反省を踏まえて、立燭は自分で行う。
あっという間に開式の時刻(午前10時)が来てしまった。代表焼香の最終確認がとれなかったが、式中にすることにして、開式宣言をする。準備をしてきたので、昨日よりも余裕をもって司会に望むことができた。
本山と坊守会の弔詞、弔電披露があって、勧衆偈が始まる、というタイミングで、葬儀社から「門徒の弔辞があります!」と指示が入り、マイクで「続いて弔辞があります」とアナウンスをしたが、実際には弔辞は用意されていなかった。私がミスしたみたいで格好悪いが、ハプニングは付き物だから気にしない。
ハプニングと言えば、祖師前と御代前の灯明がよく消えてしまう。自分の寺ではないので勝手がわからないが、油が悪いのだろう。何度も直しに後堂へ回らなければならない。
出棺後、喪主が導師と法中への御礼を渡していないことが明らかになる。実は法礼の準備ができていなかった。荘厳に時間をとられ、出仕前に喪主と一緒に(または喪主に代わって)法礼を渡すことが出来なかった。葬儀社がいるので、どうにかなっているだろう、と思っていたが、甘かった。座配は、こういう所にも目配りしなければならないと、教えられた。
葬儀の飾りが取り払われている時に、打敷を正しい場所に掛け直し、法名前の荘厳を調える。
斎場から皆さんが戻られて、法礼のことを確認。それから一旦お寺を離れて、家へ戻る。差貫と絽の裳附、厚手の五条だったので、全身汗だくになっていた。シャワーを浴び着替えてから、昼食を摂る間もなく、一軒だけ逮夜まいりに行く。
式場のお寺に引き返した時、親族の皆さんは先に戻られていて、導師が荘厳を始めていた。
御文箱を点検する間もなく、還骨勤行が始まった。白骨の御文を読みたかったが、入っていたのは一帖目だった。とても「勧進帳」をする自信はなく、別の御文を読む。こうして掛役兼助音を勤め、本日の座配の役目を果たし終える。実際に経験してみて、注意すべきところが多数わかったので、いい機会に恵まれた。
8月6日(土)
8月7日(日) ”お盆まいり”が始まる。
夜 妻の運転練習を兼ねて、スパスミノエへ。今日のバッティングはまるでダメ。80km/hのボックスに入ってからというもの、タイミングは合っているハズなのに、ボールを捉えることが全然できなくなった。
8月8日(月) 午後7時〜 『高僧和讃講記』校正作業(於 圓明寺)。
8月9日(火) 午後2時〜 正副組長会(於 難波別院)。
8月10日(水) 午後6時30分〜 大阪声明塾特別講義(於 難波別院)を聴講。
8月11日(木) 車で東大阪から豊中へと向かう途中でNKオートに立ち寄り、ピット状況を取材。
8月12日(金) お盆の帰省ラッシュで、西宮・芦屋周辺で国道が渋滞。
午後8時 第二組組長宅へ伺い、割当依頼の発送前チェックを担当。
8月13日(土) お盆のお勤めの後で法話を入れると、必然的に予定時間を超過して、後の予定がどんどん遅れていってしまう。最大90分の遅れが出てしまった。
8月14日(日) 昨日の反省から、念仏讃を短念仏と懸和讃に変更して、今日はほぼ予定時間通りに廻ることができた。
8月15日(月) 夕方までに12軒のおまいりを終えて、午後7時から本堂で盂蘭盆会。
8月16日(火) まだまだお盆まいりが続く。
8月17日(水) 朝8時30分に出発して午後6時までずっと外回り。
8月18日(木) 夜 福島区のお寺で、葬儀に供える根菓餅と紙華製作の手伝い。そのために、本日の相伝叢書校正作業に参加できなくなるので、私の校正案を圓明寺に届けてから福島へ。
根菓餅3対と紙華2組(五具足用)を新たに製作したので、午後7時ごろから作業が始まっていたようだが、すべてが完成したのは午前1時30分。
8月19日(金) 午後5時〜 第二組組会、引き続き6時〜 所長巡回(於 法山寺)。
8月20日(土) 夕方 明日の本堂での法事に備え、近所の花屋で花材を購入し、本堂の仏華の枯れた花を挿し替える。
8月21日(日)
8月22日(月) 午後2時〜 出版会議〔幼年向け教化カルタ作成実行委員会〕会合(於 難波別院)。
夕方 堺浜シーサイドステージへ。映画「コクリコ坂から」を鑑賞。前作よりも遥かに良い。涙の描写には改善の余地あり。
その後、祥福の湯で夕食&入浴。
8月23日(火) 午後7時〜 習字教室へ。
8月24日(水) 午前中でおまいりを終えて、午後からは琵琶湖へ。先輩が持っているボートに乗せてもらい、水上クルーズ。
帰宅後、幼年向け教化カルタの読み札案を考える。
8月25日(木) 午後4時30分 出版会議〔幼年向け教化カルタ作成実行委員会〕会合(於 難波別院)。出発ギリギリまで、教化カルタの読み札案を考える。
8月26日(金) 空いた時間は、『高僧和讃講記』の校正下読みに費やす。この仕事を手掛けている間は、のんびりした生活を送ることは出来ない。
8月27日(土) 午後3時〜 第2組聞法会「共に学ぶ正信偈」(於 西教寺)。阪堺電車で会所へ向かう途中でゲリラ豪雨になる。1時間あたり77.5oの降雨は、観測史上最多タイ記録だそうだ。開式直前に天気が急変したので、参加者の多くが雨に遭ってしまった。
自坊へ戻ったら、書院が雨漏りしていて、畳6畳と冬用の座布団がみんな濡れてしまい、大変な状態になっていた。とりあえず畳を上げて、座布団はテーブルの上に並べて乾かすことに。
8月28日(日) 午前 芦屋でご門徒さんの納骨のお勤め。霊園からの移動中に、恩師が亡くなった旨の連絡が入り、ご門徒さんとの食事を断って、恩師宅へ駆けつける。
恩師宅で葬儀の掛役を拝命し、帰りにホームセンターへ立ち寄り、根菓餅や紙華の材料を調達。
深夜 白木の「四方」と造花に、銀塗装を施す。
8月29日(月) 朝 般若木にする角材および紙華の軸の切断作業を行う。続いて、葬儀で使用する野卓を取りに難波別院へ。葬儀を行うお寺で野卓を降ろし、引き続き法事のご門徒さん宅へ伺う。
午後1時〜 大勢で根菓餅や紙華の準備作業。根菓餅5対分の「般若木」製作(80本)に、作業全体の2/3の時間が掛かった。午後6時30分に完成。
帰宅後、葬儀の式次第と進行の確認書の清書、そして葬儀で勤める念仏讃の節譜を付けた資料を作成する。
8月30日(火) 昼前に恩師のお寺に伺い、葬儀の荘厳準備を手伝う。
午後7時〜 通夜。
帰宅後、念仏讃の節譜資料などを用意し、准堂衆会の学習会案内ハガキを作成・投函する。
8月31日(水) 朝 葬儀の式場に着いてから、装束の間違いを知り、取りに戻る。
午前11時〜 葬儀。葬儀の掛役は初体験。また、肩入れ式も初めて経験する。


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