日記帳


■2010年 1月分■
1月1日(金・元日) 午前11時〜 修正会(於 宗恩寺)。例年並みの参詣者数だったので、写真撮影が1回でできた。
午後3時すぎから、兄弟の一家が揃って宗恩寺に集まり、年始の挨拶。
1月2日(土) 本日はご門徒さん宅へのおまいりはお休み。年賀状印刷も途中なのに、准堂衆会HPのメール送信フォームを作り替える作業に熱中してしまう。
年賀状の宛名を手書きで始めたが、間に合わないので途中からパソコン印刷に変更。(データは逐次入力するのだが、手書きよりは作業が早い。)出来上がり次第、順次ポストへ投函。
1月3日(日) 午前中にご門徒さん宅へ月まいり。午後は再び年賀状作成。宛名書きをパソコンに替えてから能率アップ。日が暮れるまでにやっと250枚超を仕上げる。
夕刻 デジタルカメラのメモリーカードを受け取りに日本橋へ。
1月4日(月) 元日からお店が営業しているが、会社などは正月休みのところが多いのだろう。街中はすいている。おまいりの途中の午後3時ごろ、生野区の疎開道路沿いの自販機でココアを買った時、おつり(900円)を取ったが商品を取り忘れてしまった。おまいりを終え帰宅してようやく忘れてきた事に気づいた。4時過ぎに車で取りに戻ったら、まだ取り出し口に残っていた。
その足でポスターを取りに難波別院に行ったが、休暇中で同朋会館の入口が施錠されている。続きで住之江のバッティングセンターへ。3ゲーム連続でバットを思い切り振り回してきたので、腕は疲労したけれど、ヘルニアによる左腕の神経の不調は少し良くなった感じがする。
1月5日(火) 昼間は突風が吹き荒れる。
午後7時〜 天王寺区仏教会例会(於 四天王寺)。
1月6日(水) 夜の散歩時、近所に住むさくらの友達犬「チョコ」ちゃんと遇う。チョコちゃんは茶色のラブラドールなので、黒のさくら、黄のコロで、ラブの3原色勢揃いになる。最近は、コロもチョコが好きになり、一緒に遊ぼうとするが、一度に2匹に迫られたチョコちゃんはシッポを下げて及び腰。
1月7日(木)
1月8日(金) 午後4時 おまいりの続きで難波別院に立ち寄り、会場使用願いを提出。出版社の人が新年互礼会のために別院へ来ていたので、年末に出版した本の色抜けの件を伝える。
1月9日(土) 午後7時30分〜 相承学薗(於 専光寺)。『真宗ハンドブック』の新たな誤植をK編集長から聞く。同朋奉讃の念仏の一行に、節譜の間違いがあった。最終校正時に、出版社が出した別の本の原稿をそのまま使うよう指示して差し替えてもらった部分なので、節譜が間違っているはずがないと思い込んでいた。1万冊にシールを貼らなければ。
1月10日(日)
1月11日(月・祝) 午前中に法事が2件、ほぼ定刻通りに勤まった。
午後、昼食に立ち寄った某牛丼チェーンが111周年記念で80円引きセールをしていた。子どもの頃は「牛丼一筋80年」と宣伝していたので、それから31年も経ったという事か。
夜 隣りのお寺のご住職が亡くなられたので、根菓餅の材料を仕入れにホームセンターとスーパーへ。檀家さんから処分を依頼されて保管しておいた三方を銀色に塗装。根菓餅は1対でいいと言われているが、2対作れるように準備する。
1月12日(火) 午後2時〜 根菓餅と紙華を作りに隣寺へ伺う。以前の葬儀の写真を見せてもらったところ、予想以上に大きな祭壇なので、2対製作することに。本当は3対なのだが、四方などが2対分しか揃えられなかった。
金紙・銀紙で紙華を作るのだが、柔らかい紙なので、葉が全部垂れ下がり、しおれたような姿になってしまった。葉を10p程度の長さに縮めたら、今度はしゃんと開いてくれた。
不慣れな3人で作業したので、5時間掛かってすべての作業が終了。
夜 犬の散歩で、チョコちゃんと遭遇。チョコちゃんは、さくらは大好きだが、コロは少し苦手にしていることが分かった。
1月13日(水) 天気予報で各地に大雪への注意を促していたが、大阪でも時折雪が降った。
福井の平等さんから、お父様の本を2冊送られて来た。「お勤めとは、正信偈をあげて、そして念仏ご和讃をあげることではありません。(中略)これを称えて我われが聴聞さしていただくのが、我われ真宗門徒の勤めです。」…長年別院で輪番として儀式を守ってこられた方の本で、ゆっくり読ませていただこう。
午後4時〜 准堂衆会役員会(於 難波別院)
午後6時からの准堂衆会学習会は欠席して、隣寺のお通夜へ。
冷え込みがきつく、弔問の方も寒さがこたえたとおもう。
明日の葬儀後、中陰壇の設置を手伝うことになり、帰宅後に参考書を開いたら、「両尊前にも杉盛華束を備える」と書いてある。今回は野卓の事しか考えていなかったが、自分の所で葬儀を出す時は、先のことまで意識して準備しなければ、ということを学ぶ。
『南御堂』誌への原稿執筆(850字以内)に取り掛かるが、1行も書けない。
1月14日(木) 朝 手水鉢に氷が張っていた。
午前11時からの葬儀に諷経(脇導師)で出仕。キン役の方が刻限を間違えていて、開式に間に合わないハプニングが。
廻向「我説彼尊功徳事」の3句目で下がるか下がらないか、申し合わせをしていなかった。導師が下げないで勤めているように聞こえたが、参列の方の下げる声の方が強く、途中で下げる形に変更した。
午後4時30分から還骨勤行と初七日の助音。
『南御堂』誌への原稿、今日も言葉が浮かばない。頭が回転しないので、あきらめてさっさと寝ることに。
1月15日(金) 『南御堂』誌への原稿締め切り日。午前と午後のおまいりの合間になんとか仕上げてメール送信。
午後6時〜 生け花教室(於 安楽寺)。今日は立華。
金曜の11時からは、ヨメがテレビを独占する(CSの海外ドラマを観る)ので、同時間帯の「探偵!ナイトスクープ」を観ることができなかったが、地上波デジタルをノートパソコンで視聴できるようにして、久しぶりに観ることができた。あおりで、犬たちはこの夜、散歩に行けなくなってしまった。
1月16日(土) 「僧侶ネット」からメールが届く。「新規機能追加につき僧侶登録募集」との事。登録費1万円、月会費2,500円という条件。こういった「寺院紹介サイト」が次々に出来てきた。間もなく我々の業界もITで注文したり料金を比較する時代となってゆくのだろう。
午後7時〜 町会の総会(於 大江会館)。お寺の裏の府営住宅跡地に出没する野良猫対策が議案のひとつ。35匹〜50匹いるとの事。
1月17日(日) 朝、変な夢を見た。東本願寺の法要に出仕するために上山したら、お勤めが始まっていて、御経の音木の音が聞こえてくる。急いで迷路のような通路を通って控え室へと向かうが、なかなか到着しない。しかも、持っていた装束を入れたカバンがなくなっていて、来た道を戻って捜すのだが、どうしても見つからない。今回の法要の准堂衆一臈は、先日本を送ってくださった人だ、という情報がどこからか聞こえてきて、まもなく法要が終わってしまうという状況で、絶望的な気持ちでなおも捜し回るが、カバンが見つからない…そこでようやく目が覚めた。夢でよかったが、その時、今日のおまいりの出発予定時間を15分も過ぎていた。
『真宗ハンドブック』を再印刷することになり、明日の午前10時までに修正意見があれば提出するように、と指示がある。
深夜に先輩から電話があり、修正についての意見交換。出典の書物と対照させて点検していたら、書き下しのところで2ヶ所のミスを発見。疲労困憊となり、御文と歎異抄、および資料編の点検が残っているが、作業を断念する。
1月18日(月) 午前9時40分 『真宗ハンドブック』の修正意見を書きまとめて、FAX送信。
午後 会員に今日の研修会の連絡を携帯から2度(延べ100名)送信したら、携帯会社から発信規制を掛けられ、以後の返信が出せなくなった。パソコンからの受信拒否設定をしている人のためにパソコンから送りにくくなってきた、携帯料金がかさむのを覚悟して携帯から発信しているのに、こちらも使えないとなると、非常に不便です。
午後4時〜 難波別院内・教化センターで『親鸞聖人真蹟集成』の文書から色紙につかう言葉を探す作業。
午後6時〜 准堂衆会研修会〔高僧和讃講義〕(於 難波別院)。講師は延塚先生。夕べの寝不足の影響か、講義内容が頭に入ってこない。
私が発信したあるイベントの告知文に対して「感激のない、事務的な文書」という感想がある、と聞かされた。的を射たご意見で、ゆとりの無い日々を送っている証拠とも思う。でも、具体的な内容が想像できない催しを勧誘するのも困難です。
帰宅後、出版社か修正個所の印刷見本がFAXされてくる。明朝10時までに確認をするように、との事。
明後日、泉北での葬儀の諷経の依頼があり、打ち合わせをする。
原稿16枚分のチェックをすませたところで編集長から電話が入る。1ヶ所、中陰中の仏花についての記述をどうするか意見を求められたが、私では判断つかないので、深夜だが先生に連絡をとり判断を仰ぐ。
寝る前に、親鸞聖人の真蹟を加工して色紙の見本を作る。20日の組会に提案するのだが、光照寺さんが作成している別の案の方ができが良いので、落選するだろうな…。
1月19日(火) 午前9時50分 印刷所に昨日の原稿を確認した事と、1ヶ所の再修正を連絡する。
10時30分 親を今里のクリニックへ送った帰りに、50円売りの自販機に立ち寄る。13日に見つけたこの自販機には、ブルボンの見慣れないデザインのココアが50円と表示されている。13日は売り切れだったので、再び訪れたのだが、今日も売り切れ。きっと去年の商品で、完売したので補充できないのだろう。
午後 法務の帰りに難波別院へ立ち寄り、会場使用願いの申請。
夕方 久しぶりに仮眠。身体は楽だが、夜が短くなってしまう。
犬の散歩を終えて帰宅し、いつものように門のところで犬のリードを外す。3匹が人よりも先に奥へ戻るのだが、今日はさくらを中扉の外に閉め出してしまっていた。深夜に真っ黒い犬の姿は視認できない。鳴き声でようやく気づく。
宗恩寺のHPへのアクセスが連日10件を超えるようになった。ソネットのアクセスログサービスがなくなったので、どのページが見られているのかは不明だが、更新が続いた効果だろうか。
20日のプレゼンテーション用に、もう一種類、坂東本の正信偈の始め2句で色紙見本を作る。
1月20日(水) 午後7時〜 第二組組会(於 光照寺)。
色紙見本は、私が用意した和讃の言葉もいいところまでは行ったが、光照寺住職が用意したものが選ばれた。天気予報は夜から雨。数百メートルの距離なので傘を持たずに徒歩で行ったが、帰りは雨になった。帰りに、正副組長さん達と焼き鳥屋で夕食。
1月21日(木) 泉北の会館でのお葬式に脇導師として出仕。お寺へ戻ったら、こんどは宗恩寺のご門徒さんが亡くなられたと連絡が。
1月22日(金) 午後4時〜 生け花教室(於 安楽寺)
お通夜を勤めてから、午後7時30分〜 声明の稽古(於 慧光寺)。相伝文書の『還源録』と『還源余録』の原本の複写を預かる。急ぎパソコンに入力して出版社へ送らなければならない。
帰宅後、本堂の花を立て替える。
今日から5日間、天王寺区仏教会の寒行托鉢だが、欠席。
1月23日(土) 天王寺区仏教会の寒行托鉢 2日目だったが、葬儀と法事の後で失念していた。昨日から托鉢が始まっていることに気が付いたのは今日の夜11時、この日記を更新する時だった。
1月24日(日) 午後5時〜 天王寺区仏教会の寒行托鉢 3日目(大江・生玉地区)に出仕。今日は寒さが楽だった。
「龍馬伝」をパソコンで録画しようと、ノートパソコンを起動させたが、ウィンドウズの起動前にOSのアップデートが行われ、10分以上かかった。その影響で番組の最初の5分が録画できなかった。
午後7時30分からの相伝短文集講義(於 慧光寺)に途中から参加。今晩は「信行大意」の講義。
1月25日(月) 午後4時30分〜 歯科受診。20年以上も前に欠けた前歯を治療。
托鉢は欠席して、会議のために難波別院へ向かう。
午後6時〜 大阪教区御遠忌委員会(於 難波別院)。大きな組織を運営していく立場の人は、打たれ強い精神の持ち主でないと務まらない、と実感。
教区御遠忌テーマについて、ある方が異議を唱えられていた。「”いのち輝け!”とは、誰が誰に対して言うのか?真宗での”いのち”とは”無量寿”を指すのである。無量寿が無量寿自身に対して呼び掛けることはありえない。また、個人のいのちを無量寿と区別することもありえない」というのがその方の趣旨であった。根源は無量寿であっても、私たちはいのちを自分の私有物だと思い生きている。「二而不二」という考え方が無いと、このテーマの深い意味が受け入れられないだろう。
閉会後、別院のS部長から「本肩衣」を見せてもらう。俗に”門徒袈裟”と言われる「肩衣」は、時代劇で武士が正装として着用する裃の上の部分のことで、門徒が着用するのは「正装」をしておまいりしている姿を現すと説明される。しかし、略肩衣の仕立ては、僧侶が用いる畳袈裟とそっくりなのだらか、私はその説明には無理があると思う。僧俗一味の真宗だからこそ、僧侶が着用する袈裟と同様のものを着用することを門徒に許した、と考えるべきだろう。もっとも、相伝教学では僧侶の装束は儀式を行うために着用するのであり、お荘厳の一部だと考える。肩衣を着用する発想は、昔にはなかったことだと思う。
1月26日(火) 近鉄の初詣切符でお伊勢さん詣りに行きたかったが、2日あった行けそうな日に用事が入ってしまい、有効期限内に行けなくなったので、切符の払い戻しをする。
本堂横の和室で習字の練習。ファンヒーターを点けるが、一向に部屋が暖まらない。身体は冷えるし、字は上達しないし、教室をズル休みしたい気分。
午後7時〜 習字教室。
1月27日(水) 通信販売で購入した足袋のサイズが大きすぎたので、店に問い合わせたら、交換してもらえることになった。伸縮性のない素材なのと、サイズ表記は同じでも会社によって大きさが異なるので、こういう事が起こる。紳士靴と違い、試着もできない(洗濯すると縮む)ので、いつものメーカーと違う物を買うのには慎重になる。
1月28日(木) 朝から雨。おまいりに出発する直前に激しい降りになったが、30分遅れで出かけるときにはピタリと止んでくれた。
「ココア」全種類制覇まで、カルピスのココアを残すだけになったのだが、売っている自販機が見つけられない。
京都・河原町阪急百貨店が閉店になるというニュースに驚く。「昭和51年開業」との事。河原町駅が開業した昭和34年からと思っていたが、意外と新しいことにまた驚く。
准堂衆会の2月の学習会案内ハガキを作成し、深夜1時過ぎに天王寺郵便局本局で投函。
1月29日(金) ヤマザキ(山崎製パン)の「おしるこ」と不二家の「ココア」を発見。まだまだ知らない「おしるこ」「ココア」があるかもしれない。
午後4時〜 生け花教室(於 安楽寺)。
1月30日(土) 以前、生野で見かけたが、売り切れで入手できなかった50円のココアが、近所の自販機で80円で売られていた。
1月31日(日) 午後から休み。准堂衆会から会員への案内文書を作成。さらに『還源録』の校正を少し。
午後10時〜 昼間に作った案内を封筒に入れる作業。事務局のO君に来てもらい、2人で行う。午前0時前に解散。


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