日記帳


■2009年 11月分■
11月1日(日) 午後1時30分〜3時30分 宗恩寺報恩講。始めに『御伝鈔』下巻の末(第4段〜第7段)を拝読。喉の調子がもう一つなので、やや高さを抑えて、サクサクと読むが、今日は暑くて、汗が流れ出る。。昼前から雨になったが、思いがけず多くの参詣があった。法話を終えて閉会の頃に風雨が強くなってしまい、おまいりに来られた方に申し訳ない。
夜 明日の会議の準備(『真宗ハンドブック』の校正と、役員会の資料作成)。
11月2日(月) 午後4時〜 『真宗ハンドブック』編集会議(於 難波別院)、引き続いて午後6時から准堂衆会役員会。
コンビニで「ニンニク」のスナックが3割引で投げ売りされていたので買ってみたが、少し食べただけで喉がヒリヒリする。これでは売れないだろう。
疲労がたまっているので、犬たちには申し訳ないが、散歩は無しにさせてもらう。
11月3日(火・祝) ようやく喉の調子が戻った。
一昨日の暑さとは対照的に、今朝は随分と冷え込んだ。急なおまいりが入り、昼食を摂る間がなかった一日。
夜 本堂の荘厳を平常に戻す。
11月4日(水) 午後6時30分〜 西宮の叔父の月命日。夕食にすき焼きをご馳走になる。
11月5日(木) 午後7時〜 天王寺区仏教会例会(於 四天王寺)。
11月6日(金) 午後4時〜 「親鸞講座」打ち合わせ(於 難波別院)。
生け花教室は欠席。
11月7日(土) 午後1時〜 紹隆寺様住職襲職法要&報恩講に出仕。
襲職法要の次第に「和讃《無碍光仏のひかりには》 添《十方》」とあったので、大経和讃と思いこんで助音を勤めたのだが、住職の意向は現世利益和讃の方だった。大失敗。

(大経和讃)
(現世利益和讃)
無碍光仏のひかりには
 清浄歓喜智慧光
 その徳不可思議にして
 十方諸有を利益せり

至心信楽欲生と
 十方諸有をすゝめてぞ
 不思議の誓願あらはして
 真実報土の因とする
無碍光仏のひかりには
 無数の阿弥陀ましまして
 化仏おのおのことごとく
 真実信心をまもるなり

南無阿弥陀仏をとなふれば
 十方無量の諸仏は
 百重千重圍繞して
 よろこびまもりたまふなり
11月8日(日) 「根菓餅の作り方」の解説を作るため、午前3時までつい夜更かし。
11月9日(月) 午後7時〜 准堂衆会研修会〔坂東曲習礼〕(於 慧光寺)。出席は16名。思い切り声を出しすぎて、途中から声が嗄れてきた。
本日の相承学薗(於 専光寺)は休講に。
帰宅後、トトをつれて区仏教会からの配付物の配達へ。
11月10日(火) 午後4時〜 「親鸞講座」打ち合わせ(於 難波別院)。
難波別院以外で開催を提案していたが、奈良県では開催することになったが、和歌山と兵庫は中止の方向となった。
お寺と縁がない人向けに、お寺ではなくて市民会館等で開催する事に意味がある企画だと私は思っていたのだが、どうも宗門内向けの行事になりそうだ。開催するにあたって、地元のお寺に相談なく行う訳には行かないが、お寺の協力は得られなくても、開催を反対されなければ御遠忌委員会(の教化事業部)主体で行う、という選択肢もあったのでは、と思う。
閉会後、摂津の善勝寺へ。報恩講の行事(御伝鈔と法話)終了後、午後10時から御堂をお借りして、茨木別院報恩講の習礼をさせていただく。昨日の喉のダメージがあり、真四句目下や三重のところは辛かった。
11月11日(水) 午後4時30分〜 虫歯の治療。
続いて、医院の斜め向かいにある床屋で散髪。
昨夜からの雨が止んだので、自転車で生野区のお通夜の式場へ向かう。
11月12日(木) お葬式と還骨勤行の間に難波別院へ書類提出に。宗務所のTさんから「兵庫県での親鸞講座の中止は決定でなく、地元の組で再検討したいとの事」という情報をいただく。
11月13日(金) 午後5時30分〜 第二組報恩講(於 即応寺)。
今年の次第は、2011年の御遠忌参拝の練習も兼ねて、正信偈真四句目下・念仏讃淘五で勤まる。『同朋唱和勤行集』の「逮夜」の次第通りなので、回向が「願以此功徳」で、入楽時の節譜を勤めることになる。ご門徒さんはあまり意識していないかもしれないが、この勤行集は、今後の報恩講に混乱を招く種となるであろう。御遠忌が終わったら廃棄してもらわないといけないと思う。
午後9時閉会後、相承学薗(於 慧光寺)へ。『還源録』の原本を読む。綺麗な書体なので、一見読みやすそうなのだが、漢語調の文体の上、草書体で書かれた仮名の部分が極めて読みにくい。それをスラスラと読んで行く近松さんはすごい、と思った。
11月14日(土)
11月15日(日) 午後1時30分〜 茨木別院報恩講逮夜に出仕。喉の調子が回復しておらず、三重のところで高さをキープできず、少しずつ落ちてしまう。
続けて豊中と天満のご門徒さん宅へおまいりして帰宅。
11月16日(月)
11月17日(火) 雨天につき、境内の樹木剪定作業は中止に。
午後2時〜 平野御坊報恩講逮夜・御伝鈔。若院さんが解読した『還源録』の手書き原稿をテキスト化する仕事を申しつかる。法要では9日に痛めた喉はまだ治っておらず、高音になると声が割れてくる。なるべく割れないように努力はしたが、余りにひどくなる時は声を止めざるを得ない。御文拝読を担当。
11月18日(水) 午後1時30分〜 平野御坊報恩講日中。出仕直前、住職の指示で掛役に回る。
反省(その1)法要の冒頭、挿鞋直しに出る時に向畳に近づきすぎたこともあり、挿鞋と畳の間隔が不十分であったので、登壇時に履きにくい状態になっていた。向畳との距離に注意する事。
(その2)御讃卓を配卓する際、向畳の中啓と当たり、落ちそうになった。なるべく低く前へ差し出すようにして据えること。
(その3)撤卓の際、巡讃本が開いていたのに気づかなかった。撤卓に出て頭を下げる前に、和讃本の状態を確認すること。卓を動かしている時には、和讃本は頭上にあり、状態を確認できない。
午後6時〜 12月7日の八尾別院報恩講結願日中の習礼(於 難波別院)。
午後7時30分〜 温雅会研修会(於 難波別院)。今年の本山御正忌の楽僧は大阪が担当するので、附物の練習の手伝いとして准堂衆会から私を含めて6名が出向く。最後の下高座伽陀と回向(ともに十二淘)はきつかった。2日ほどは声がかすれるだろう。
帰りに夢未月で食事。開店以来のマスターが店にいない。交替したとの事。
11月19日(木) 『真宗ハンドブック』の校正について印刷所に連絡。これで校了。
11月20日(金) 午後 生け花教室(於 安楽寺)。中尊前の仏花を立てる。
11月21日(土) 京都で食事会。帰りの電車内で一駅寝過ごして、地下鉄の終電に乗り遅れる。環状線で帰宅。
11月22日(日) 東京勤務の松っちゃんから「帰阪する」と連絡を受け、夕方からボウリング、そしてファミレスで食事。2時の閉店まで話しつづける。
11月23日(月・祝)
11月24日(火) 午後7時〜 習字教室
11月25日(水) 午後4時〜 虫歯の治療
11月26日(木)
11月27日(金) 午後 生け花教室(於 安楽寺)。祖師前の仏花を立てる。
11月28日(土)
11月29日(日) 午後7時30分〜 声明の稽古(於 慧光寺)。『還源録』の17日に預かっていた分のワープロ入力出来たので提出。代わりに続きの手書き原稿を預かる。
11月30日(月) 午後6時〜 准堂衆会学習会〔坂東曲〕(於 難波別院)。今年の本山御正忌の様子を出仕者から聞かせてもらう。准堂衆にインフルエンザが流行したため、自主参勤全員が一旦退館させられた話などで大変だった模様。
閉会後、慧光寺さんの誘いで、H君と共に夕食のお相伴。
新しい儀式を考える実行委員会から出されていた宿題「仏前結婚式式次第案」の提出期限が明日までなので、急いで仕上げて教務所へFAXする。〜午前3時


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