日記帳


■2009年 3月分■
3月1日(日)
3月2日(月) 午後3時30分〜 国立文楽劇場で、前進座の公演『法然と親鸞』を観劇。
3月3日(火) 午後7時 御遠忌委員会〔教化事業部会の作業部会〕(於 難波別院)。ある企画について私の投げかけた質問に対して、年長の委員が立腹し、手厳しく批判してきた。先方はこういった会議のベテランで、こちらは全くの初心者。若造をたしなめるのは結構だが、萎縮させるような言い方は無いと思った。
3月4日(水) 午後6時30分〜 西宮の叔父の月命日。今月も従妹とその1歳の息子と会えたが、来月には転勤で関東へ行ってしまう。「我が家の犬の写真を見たい」という前月の約束を果たす。
3月5日(木) 午後7時〜 天王寺区仏教会例会(於 四天王寺)。
3月6日(金) 生け花教室を休み、入段試験のために習字の練習。
午後7時〜 習字教室。入段試験の作品(5枚)のうち、3枚は完成。残り2枚は家で書くことに。作品提出は10日必着なので、9日の朝一番に投函すれば間に合う。
午後10時すぎ 枚方のご門徒さんからの依頼で枕経へ。駅から近い家なのだが、こんな時間では帰りの電車が無くなるので、自家用車で出かける。
3月7日(土) 午後7時〜 枚方でお通夜。
3月8日(日) 夜 昨年7月に依頼されていた5枚の原稿(地図)の最後となる「王舎城」の地図の作成作業に没頭。資料が乏しく、既刊本の挿絵2種類の他、インターネットで見つけた第二次大戦時の米国海軍が作成したインド地図、そしてグーグルの衛星画像を手がかりにイラスト化。(9日の)明け方5時に終了。
3月9日(月) 午前中に法務を終え、昨夜作成した地図の一部修正案を作成。
午後3時〜 『真宗ハンドブック』編集会議(於 難波別院)に、作成したばかりの「王舎城周辺図」を提出。
会議を途中で抜けて、森小路のご門徒さんの百ヶ日法要、続いて枚方でお通夜。
夕べは地図作成だけで終わり、書道の入段試験の作品は書けなかった。郵送では間に合わない。妻が和歌山の本部へ届けると言うので、今晩は徹夜で書道の入段試験の作品を書く。
3月10日(火) 午前7時 完徹で作品を書き、仕上げに落款を書き入れようかという時に電話が。長らく法務の縁が絶えていた方からの葬儀の依頼だった。「今晩、神戸でお通夜を」という依頼だったが、枚方の葬儀を終えてからでは物理的に無理なので、結局はお断りすることになった。
「習字はもう間に合わない」と観念したが、何とか仕上げて、妻に配送を託す。
昼 枚方で葬儀。還骨まで勤め、帰宅して爆睡。
3月11日(水)
3月12日(木)
3月13日(金) 生け花教室は欠席。
午後6時〜 准堂衆会学習会〔浄土三部経の練習会〕(於 天満別院)。法務がずれ込んで、途中からの参加。
午後7時30〜 相承学薗(於 慧光寺)。学習会のために、こちらも途中からの参加。
3月14日(土) 午後5時〜 第二組教化委員会(於 行圓寺)。
3月15日(日) 午後4時30分〜 東大阪の乗誓寺にて、本堂落慶法要の打ち合わせ。外陣は私を含めて3名。キン役を仰せつかったが、法要は大谷派と本派の儀式をミックスして行われるので、御経(四十八願)の前2打と後1打しか役目が無いことが判明。
3月16日(月) 午後6時〜 第二組組会(於 仏足寺)。
3月17日(火) 彼岸の入り。
午後6時〜 准堂衆会役員会(於 難波別院)。
3月18日(水) 夕方 今年に入って初めての散髪。彼岸会を前に、さっぱり短髪にしてもらった。
3月19日(木) 夕方 おまいりの帰りに、天王寺駅ビルの地下にある生花店で花材を買う。深夜 中尊前の花を立てる。
3月20日(金・祝) 春分の日。
午後1時30分〜 彼岸会並びに永代経会(於 宗恩寺)。
午後5時〜 明日の法事のために秋田から帰阪している中学からの親友と会う。途中で他の同級生2名も合流し、ファミレスの閉店時間まで話し込む。
帰宅後、妻は熟睡中だったので、3匹の犬の散歩を1人で行う。
3月21日(土) 午前11時〜 親友の御尊父様13回忌法要を宗恩寺で勤める。
午後4時〜 夕方の寝台特急で秋田へ戻る親友を見送りに大阪駅へ。
3月22日(日)
3月23日(月) 午後7時30分〜 声明の稽古。
3月24日(火) 午後4時〜 「新しい儀式を考える」実行委員会(於 難波別院)のため、法務の続きで別院へ。
閉会後、先輩に誘われてお好み焼きの店へ。
3月25日(水) 午後4時〜 歯科受診。
3月26日(木) 午後7時30分〜 相伝の講義(於 慧光寺)。
3月27日(金) 生け花教室は欠席。
午後5時30分〜 御遠忌委員会〔教化センター主任の会合〕(於 難波別院)。
3月28日(土)
3月29日(日) 朝 ご門徒さんのおまいりを1軒だけ済ませて、東大阪の乗誓寺へ向かう。
午前10時すぎ 乗誓寺に到着。裳附を厚手と薄手の二種類準備して行った。外陣の一臈(首座)の方が薄手を着用されていたので、私も薄手を選択。ただ、私の薄手の装束はつや消しなので、見栄えがしないのが難点。
法要後の後片づけを手伝い、座配の法山寺さんを送って帰る。
3月30日(月)
3月31日(火) 夜 久々のスーパー銭湯。寝ころび湯で1時間過ごす。


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