日記帳


■2008年 6月分■
6月1日(日) 川西と宝塚で法要を勤めたが、続けてお寺の近所の月参りがあるので、法要会場のホテルで菓子パンを購入して車中で摂る。
6月2日(月) 午後4時〜 教化センター研究班発表会(於 難波別院)。議会で本山に行っている研究班主任に代わって報告発表をした。「儀式の意味」について言いたいこともあったが、6組の発表があるので、ごく簡単に済ませた。全体では2時間を超える発表会となり、「疲れた…」のひと言だ。
今日から近畿地方の梅雨入り。
6月3日(火) 午後 神戸市立博物館のルーブル美術館展へ。JAFの会員証を提示すると入館料が300円引になった。
夜 天王寺スポーツ倶楽部の役員さんから「天スポのHPの設定情報を教えて欲しい」と電話があった。理事を辞任した後もHPの管理を続けていたが、引き継いでくれる人が見つかったとのこと。これで完全にお役御免の身になれる。
6月4日(水) 午後 さくらとコロのシャンプー。さくらを風呂場から呼んだらら、入口でしばらく躊躇していたが、自ら浴室に入ってきてシャンプーを受けた。さくらを洗い終えて、今度はコロを迎えに行ったら、下りてはいけないのに玄関のたたきで伏せをしていた。そんなコロに向かって、注意するかの如くさくらが吠えた。踏ん張るコロを後ろから押して押して、なんとか浴室へと誘導したが、風呂場内ではおとなしくされるがままにするコロであった。
午後6時〜 帰敬式執行に関する講習会の担当(於 八尾別院)。
6月5日(木) 午後7時〜 天王寺区仏教会例会(於 四天王寺)。
6月6日(金) 午後5時〜 生け花教室(於 安楽寺)。今日は本堂の花瓶を稽古場へ持参し、仏花の練習をした。帰宅後、生け直して中尊前に備えた。
6月7日(土) 夜 大和大谷別院の輪番が亡くなられ、通夜の弔問へ准堂衆会役員として伺う。
6月8日(日) 朝 パソコンが起動せず、「故障か?」と慌てる。モニターが原因のようだが、主電源をON-OFFしたり、モニターを取替たりしているうちに復旧した。
余分な作業で時間の遅れを取り戻そうとして、自家用車の後ろフェンダーを擦ってしまった。車庫前に駐車車両があったりいろんな要因が重なったのだが、一番の原因は判断を鈍らせた身体的な疲労の蓄積のようだ。
夕方散髪に行こうかと迷ったが休憩に当てる。今晩は早く休もう。
6月9日(月) 午後6時〜 准堂衆会音木役学習会(於 難波別院)。
会の前に教務所へ寄る。得度準備講習テキストの原稿が本山の点検を受けて戻ってきたので、コピーを受け取る。いくつか修正意見があり、イラストの手直しが必要な箇所もある。急がないと今月中に仕上がらない。
6月10日(火) T氏が校正作業のために『相伝義書』を届けてくれた。「続・三丁目の夕日」のDVDも一緒にいただいたが、しばらく観る時間があるだろうか?
6月11日(水) おまいりの空いた時間を利用して、テキストのイラストの修正作業。
夜 犬のエサが残り少なくなったので、コーナンへ買い出しに行く。
6月12日(木) 朝 おまいりの途中で近所の犬に足を踏まれた。地面に打ち水がされていたので犬の足が「泥足」だった。そのため足袋が汚れてしまった。履き替えに戻る。
今日も法務の合間に得度準備講習テキストのイラスト&文章の修正作業。一応の完成。
夕方 散髪。
6月13日(金) 朝 1軒おまいりをすませて、テキストの原稿を印刷。午後 教務所に提出した際に1箇所誤植が見つかった。
生け花教室だったが、自分で生ける時間がなく、代わりに先生が手本を立ててくださった。
午後7時30〜 相承学薗(於 慧光寺)。
今日と明日、サミット財務大臣会議。そのためだろう、真夜中もヘリが1機巡回して飛んでいる。
6月14日(土) (前夜からの続き)得度準備講習テキストの原稿(修正分)を出力し、時折仮眠しながら相伝叢書の校正作業をしているうちに朝を迎えた。
第2組推進員養成講座の2泊3日の上山研修があり、スタッフとして参加するため朝9時に京都へ向けて出発。天王寺駅から特急はるかで京都へ向かう。
午前10時すぎに東本願寺に到着。
6月15日(日) 上山研修2日目。昨日にも増して眠い。約1時間の座談会の司会補佐を担当。
同朋会館の夕事勤行で勤まる同朋奉讃の念仏は、自分が覚えているのとは音の下がり方がちょっと違う。音感が崩されそうになる。
6月16日(月) 上山研修最終日。晨朝終了時、漢音小経の鈴が一臈の席に残されていた。最初から置いてあったということか。
午後1時 本山同朋会館を退館。帰阪後、1軒中陰のおまいりをして、役員会の資料準備。
午後6時〜 准堂衆会役員会。その前に教務所へテキストの原稿チェック。1枚原稿を忘れていた。またあらたに原稿修正の提案があり、明日届けることに。
6月17日(火) おまいりの合間にテキストの原稿修正。砂張の打ち方を間衣姿で紹介していた部分について、「砂張を打つ時は直綴・墨袈裟なので修正するように」と意見があった。その点は承知していたが、「打ち方」が見えにくくなるので、あえて間衣のイラストにしていたのだが、急ぎ修正。また、「路念仏の鈴を打つ時の姿についても、イラストに画かれた持ち方が絶対のように思われては困るから削除するように」と本山から意見があったが、そこは「持ち方の一例」と註釈を付けて絵を小さくする修正原稿を作成した。今日の午後3時から本山で儀研の会合が持たれ検討されるとのことで、ギリギリ2時50分に原稿を教務所へ提出。
本山からの回答を待って最終稿を入稿することになったので、もう一度全文を見直す時間ができた。午前3時まで校正作業。
6月18日(水) 今日も合間にテキストの原稿の手直し。午後、教務所から「本山からの回答」が届き、1ヶ所だけ説明文を修正。路念仏の鈴のイラストについては、是非掲載したい旨を教務所が本山に伝えてくれていて、その意見が通った。新たに法服・七条袈裟のイラストを描いたが、本山の校閲を受けていないので、採用されるかどうか不明。
最終稿の出力前にもう一度見直しをしていたら、また文章がおかしい部分が見つかり修正。まだ誤字があるかもしれないが、ついに時間切れになった。
急ぎ原稿をプリントアウトし、午後6時30分 教務所へ出向き、最終稿を手渡した。8ヵ月に渡る作業が終了した瞬間である。
6月19日(木) テキストの仕事が終わり、これから他の仕事に取りかかれり始めたところ、教務所から「最後の点検で修正箇所が見つかった」と連絡が入る。うち一ヶ所は「右」と書くべきところを「右」と書き違える大ミスだった。午後5時に修正箇所を指示するFAXが届き、訂正した原稿12枚を6時に教務所へ届ける。定価300円で初版3,000冊刷るとのこと。
その続きで本日最後のご門徒さん宅へと向かう。おまいりを終えて外へ出たら雨降りになっていた。
雨につき、今晩のコロとさくらの散歩は無し。
6月20日(金) 天気は降ったり止んだり。夜、雨が止んだので、仏教会の配付物のポスティングを兼ねて犬の散歩へ。復路になって雨が降り出した。
6月21日(土) 小田和正さんの京都でのコンサートチケット発売日だ…と思っていたら、実は「一般発売日」で、すでに「先行予約」は終了していた。したがって、大阪の時と同様、あっという間に売り切れとなった。正午から、9月の武道館コンサートの先行予約開始だったので、1枚申し込んでおく。
午後7時〜 声明の稽古。今日のテーマは本堂の荘厳なので、後門や向畳のある隣寺へ出向く。夜になって雨模様だったが、犬の散歩の時間には止んでくれた。
6月22日(日) 一応、お寺の定休日だが、午前に中陰のおまいり、午後に1軒月まいりがあった。
午後 廊下に置いていたストーブを倉庫に入れ、代わりに扇風機を出す。
続けて、本堂の祖師前・御代前・法名前の花瓶に剣山を入れられるよう、芯となる木を加工する。ホームセンターで購入した丸棒を適当な長さに切り、剣山の心棒を差し込むための穴をハンドドリルで空ける。ドリルを回す時に擦れて、人さし指の薄皮がめくれた。
6月23日(月) 午後5時 難波別院へ。総会資料のコピー&製本作業。後輩の役員2名が手伝ってくれたので、思いの外早く完成した。
6月24日(火) 午後6時〜 第2組推進員養成講座反省会。
6月25日(水) 午後7時〜 習字。
6月26日(木) 午後6時〜 教区准堂衆会総会(於 難波別院)。
6月27日(金) 午後5時20分〜 生け花教室(於 安楽寺)。
6月28日(土) 午後7時〜10時30分 声明の稽古(於 宗恩寺)。
9月11日・日本武道館での小田さんのコンサートチケットが当選した。
6月29日(日) 午後7時30分〜1時 相伝叢書の校正作業(於 圓明寺)。帰宅後、犬の散歩。月もないのに、妙に明るい雲があった。
6月30日(月) 午後5時〜5時30分 後輩に家に来てもらい、准堂衆会の事務作業。
午後7時30分〜11時30分 声明の稽古(於 慧光寺)。今月本山に行った際、宮御殿の襖絵の配置がおかしい(季節を表現した絵が描かれているのだが、一つの部屋に春と秋がある。襖を入れ替えると、春の間・秋の間・冬の間が出来上がる)と思ったので質問した。本山に勤めている若院さんが教えてくれたのだが、移築する時に御殿が縮小され、そこに合うサイズの襖を入れたので、統一性がないそうだ。倉庫に収納したままで使用されていない襖もあるとの事。


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