日記帳


■2006年12月分■
12月1日(金) 朝 2軒おまいりを済ませて、難波別院へ。真宗大谷派教誨師会主催の和歌山刑務所施設見学会に夫婦で参加。
准堂衆会の大先輩K氏は今朝ネパールから帰国しての参加だった。その先輩に「時差ボケですか?」とツッコミを入れたら恐ろしい顔で睨まれてしまった。口は災いの元。
午後7時30分〜 声明の稽古。
12月2日(土) 夕方 尼崎のご門徒さん宅のお参りに続いて、西宮の叔父の命日まいりに。夕食は豚とかにの鍋。
妻がさくらの散歩に行ってくれるようになった。助かる。
12月3日(日) ブログ「ニュースの裏読み」に書いた「ムーブ!への批判」に寄せられたコメントに返事せずにいたら炎上しかけたので、慌てて返事を書き込む。
12月4日(月) 午後 ご門徒さんから「報恩講と法事と月命日のおまいり」を依頼された。最初に報恩講として正信偈行四句目下、念仏讃淘五三と報恩講の御文拝読。次に年忌法要として伽陀、表白、阿弥陀経。添勤を月命日のつもりで願生偈を勤める。
午後6時 教区准堂衆会役員会(於 難波別院)
12月5日(火) 午後7時 天王寺区仏教会例会(於 四天王寺本坊)
12月6日(水) 夜 八尾でお通夜。砂張りではなく、立派な平キンが用意されていた。(キン台はなく、座布団に載っていた。)音は良いが、キンを置いている机が滑りやすく、打つたびに動いて行ってしまう。明日の三匝を打つ時には困るだろうな。
12月7日(木) 午後 八尾でご葬儀。会館の青空駐車場に車で入ろうとしたら、出棺直前だったらしく、警備員に止められた。しばらく入口で待たされ、「このままではご葬儀が勤められない」と思っていたら「会館地下にも駐車場がありますので、よろしかったらそちらへ」と言われた。行ってみると、ガラ空き。最初から地下を案内してくれればいいのに。
「キンが滑らないように」と対策を依頼。本番では滑らず、勤めやすくなっていた。ただ、お名号の前に大きな遺影を置くのは構わないが、さらにその前に小さなお名号(蓮台なし)を置くのはいただけない。遺影で御本尊が隠れてしまうことを誰かに注意されたのであろうが、二重にお名号を荘る方が私は気になる。
還骨勤行が始まるまで会館で待つ。ご丁寧に撥を置く台を用意してくれているが、逆向きに設置してある。使い方やその意味を知らないで荘厳している証拠。
12月8日(金)
12月9日(土) 午後1時 難波別院に施設使用願いを提出に行く。そこで昨日行った掛役学習会の本堂使用願いが未提出だったことを指摘され、仮押さえだけで手続きを忘れていたことに気付く。
午後6時〜 ミナミの花月で第2組の忘年会。カラオケスナックで二次会。お開きは午前1時を過ぎていた。
12月10日(日) 午前 茨木市駅前で満中陰法要。帰りに吉野家で牛丼を食べようと思っていたが、家から「お昼ご飯作ってます」とメールがあり、牛丼はおあずけ。
夜 隣寺の若と稽古。
12月11日(月) 午後7時からのご門徒さんのお参りの前に、さくらの散歩へ。その姿をそのご門徒さんに見られていたようで、「おたくのワンちゃんはスリムですね」と言われた。
夜 近畿連区准堂衆会研修会の案内状の作成作業。
12月12日(火) 午後5時〜 第2組推進員養成講座の案内状作成作業(於 行圓寺)。
12月13日(水) 本堂の障子張り替え作業開始。
午後6時〜 日本橋の大和屋本店で近松会(忘年会)。帰りに古本屋へ立ち寄り、文庫本の「冒険ダン吉」と「1・2・3と4・5・ロク」の全巻セットを発見。高いとは思ったが「二次会へ行くよりは安い」と考えて購入。
12月14日(木) 午後 近畿連区准堂衆会研修会の案内状を印刷し封筒詰め作業を行う。
午後7時30分〜 平野御坊で舌々二淘の稽古&録音
帰宅後、ネットサーフィンをして、封筒詰め作業の続きを。午前4時終了。
12月15日(金) 近畿連区准堂衆会研修会の案内状を発送。
午後7時30分〜 平野御坊で相伝義書の講義を聴講。睡眠不足がたたって眠い。
12月16日(土) 雨は一日降りそうで降らなかった。
夜 妻とさくらの散歩。
12月17日(日)
12月18日(月) 早くも近畿連区准堂衆会の出欠返信ハガキが届く。それを見て「宿泊希望」を記入する欄を入れ忘れたミスに気付く。参加される方一人ひとりに電話で確認する、という余分な仕事を自分で作ってしまった。
午後7時 古橋御坊で帰敬式について指導をいただく。
12月19日(火)
12月20日(水) 午後 宝塚のご門徒さん宅へ車で向かった。師走の五・十日なのを忘れて出発してしまった。帰り道の渋滞が心配されたが、それほどでも無く助かった。
阪神高速を池田から市内へ、ひたすら左側の車線を走り続けた。大阪空港付近はまだ空いていて、あるタクシーが一旦私の前に割り込んできたが、渋滞し始めたら右の車線に移って行った。それから20分ほど経っただろうか、塚本付近でようやく渋滞を抜けた。その時、さっきのタクシーが再び割り込んできた。つまり、渋滞している時は、頻繁に車線を変えても、到着時間にさほど差はないことの証明である。
昔、国道1号線を京都から大阪まで走った時もそうだった。せわしなく車線変更を繰り返しているスポーツタイプの車がいたが、のんびりと左車線を走ってる私はその車を何度も左から追い抜く事になった。その時に、急いでいるからといって、車線変更をくりかえしても、あまり無意味がない事を悟った。
12月21日(木) 午後6時 天王寺区仏教会理事会&忘年会(於 天王殿)
12月22日(金) 午後7時 習字。筆を今までより細いものに変えてみたが、やはり細い線を書くのは難しい。逆に太い線が書きにくくなった感じがする。
12月23日(土・祝) 午後7時 隣寺の若と稽古。
午後11時 平野区で枕経。
12月24日(日) 夜 お通夜のため、忘年会をキャンセル。
12月25日(月) 葬儀。お骨揚げ(還骨勤行)までの待ち時間に校正の仕事をする。ご遺族の意向で今日は初七日は行わないことに。葬儀社の人は「お骨揚げのお勤めもしない」と勘違いしていた。どこの葬儀社もだが、「お骨揚げ」のことを「初七日」と呼ぶから、そのような間違いが起きる。葬儀社のみなさんにお願いしたいのだが、還骨勤行に引き続き初七日を繰り上げて勤めることがある、というように説明してもらえないか。
夜 さくらの散歩中、木の陰で傷ついたハトをさくらが発見。羽と足を怪我していて飛べないので、妻が連れ帰って手当をすることに。
12月26日(火) 阪神高速の事故で、最寄りの入口が閉鎖になっていた。年末で一般道も大渋滞で、別の入口へ迂回するのに手間取り、最後のご門徒さん宅に着くのが1時間遅れになった。
夜 コーナンへ。いつもよりは高額なさくらの餌を購入。灯油を購入して、かっぱ寿司で夕食。
12月27日(水) 午後7時30分 相伝叢書の校正作業。
12月28日(木) 午後7時 隣寺の若と稽古。
12月29日(金) 妻に連れられ、難波の映画館へ行くが、最前列の席しか空いていなかったので映画を観ずに帰る。
12月30日(土) 「永遠の0(ゼロ)」百田尚樹・著を読む。フィクションだけど、とても良かった。
夕方 今年最後の散髪。長崎と長野で働いている床屋さんの2人の息子さんがちょうど帰省していた。
12月31日(日) 午後6時ごろ さくらの散歩に四天王寺へ。ところどころで初詣客を迎える準備をしているが、人影はまだまばら。
曙が地味な関節技でギブアップ。どうせなら豪快にKO負けしてほしかった。
1年の疲れをとるべく、午後10時に就寝。


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