日記帳


■2003年12月分■
12月3日(水)…「全国准堂衆会の会議」
後5時から難波別院で、全国准堂衆会の会長と大阪教区選出の書記、会計の3人で会議。

題は来春の総会の案内状と、5月に予定しているある行事の計画と予算見積であった。

も会計として算積算のたたき台は作成したが、会議で修正意見を採り入れて再計算となった場合、電卓では心許ないので、ノートパソコンを持っていった。

計算ソフトは便利で、データを入力すれば見積の結果が出る。

議のあと、ミナミで会食。会議終了が遅かったので、お開きは終電過ぎとなった。

クシーに乗るため、書記の先輩と共に一旦御堂筋まで出た。

輩とは帰る方角が違うので、先輩を見送ってから…と思っていたのだが、「タクシーに乗らないのか?」と言われ、先輩が止めてくれた車に乗り、見送られる形で先に帰宅することになってしまった。

通は逆だが…それとも、先輩には他の用事があったのか???


12月4日(木)…「スキヤキ」
西宮の叔父の月まいりに伺う。

行の後、叔母一家と一緒に夕食をいただくのが恒例になっている。

を遣っていただき、いつも我が家とは天と地のご馳走をいただいている。今日はスキヤキであった。

〜3日前、私は実家で「スキヤキが食べた!」と言ったのだが、「ナベは面倒だ」と却下されてしまった。その”夢”が実現したのであった。これぞ以心伝心?

べ過ぎてしまい、眠るまでお腹が苦しかった。


12月5日(金)…「座配研修」
区主催の研修会が午後5時から難波別院で開催された。

山式務部参衆の方が本日の講師で、法要に用いる道具や掛役の諸作法について指導していただいた。

会後、ミナミで会食となった。怖れ多くも御講師の先生の車(スバル・アルシオーネ)に乗せていただき、会場へと向かった。

少車であるアルシオーネに乗ることは、もう2度とないかもしれない貴重な経験である。

は、一昨日も行った店だったが、今日は「ふぐ鍋」であった。「てっさ」は美味だったが、鍋のフグは骨があり、食しにくかった。トリや他の魚の方が私には合っているのかな…。


12月6日(土)…「タテ社会?」
家まいりの途中で30分ほど時間が余り、杉本町駅近くの喫茶店の立ち寄り昼食をとった。

ちぼち店を出ようか、という時に、中年の男2人が店に入ってきた。

のスーツの色使いや髪型で、すぐに「○クザだ」と感じたが、人を外見で決めてはいけない…。

れて、20歳代の若い男が入ってきた。彼もスーツだが、服装に不釣り合いな短髪かつ茶髪であった。

は先の「ボス」から「携帯を持ってこい」と命じられ店外へ。恐らくはリムジンの運転手を勤めているのであろう。

ってきた彼は、一旦ボスたちの脇へ行ったが、「お前の席は、あっちだ」と、離れたカウンター席へと座らされた。


スから「お前も頼んで良いぞ」というお許しの言葉を得て、アイスコーヒーを注文した彼。

(初冬だというのに、なんで”冷コー”なんだろう)ということではなく、入門したての者は、幹部と同じ席には座れないという、業界の掟を垣間見た一瞬であった。

れと比較して我が坊主の世界は”封建的”というイメージを持たれているかも知れないが、本願寺のご連枝や五箇寺の御前さま、御堂衆といった世間の基準でいう”VIP・幹部クラス”の方と我々が同じ席に着くことも多いのである。


12月7日(日)…「写真展と肌着」
HPのBBSに書き込みをいただいた、インチキおじさん達のGruppe Zeiss写真展を観に行く。

場である湊町のSUMISO(住倉)は、道頓堀倉庫(2階建て)の2階部分に設けられたイベントスペースである。

階にある「入り口」(2階といっても、通常のビルなら4階くらいの高さである)へは、倉庫の屋外の非常階段を上るしかない。

段と手すりは簡素な作りなので、階段を上る足下には地上の景色が目に入り、上るにつれて嫌が応でも”高さ”への恐怖を感じる。

示ブースで、”インチキおじさん”や、初対面の他の出展者と談笑。

の後、天満橋で別の人と落ちあい、新大阪駅で話をする。

り道、梅田地下街のミズノ(スポーツ用品店)に立ち寄り、「人の体から出る汗などの水分を吸湿して発熱する肌着”ブレスサーモ”」を試し買いする。

は身長164cm。サイズ表では「M寸は167cm〜」となっていたのでS寸を購入。

宅して試着したが、肩幅が窮屈で肩が凝る。父親に譲ることにした。

侶Aの背丈はSサイズだが肩幅はMサイズ、そしてム○コはLLサイズ…???

(※「落ち」にお下品な表現がありましたこと、深くお詫び申し上げます。)


12月8日(月)…「役員会と成道会と学習会」
後4時から全国准堂衆会の事務方役員会。6時からは市仏主催の成道会(式典、講演、パーティー)。そして7時からは准堂衆会の学習会。いずれも会場は難波別院内であった。

員会の「予告」は5日に聞いていたが、集合時間の正式な連絡がなかった。

時30分、自宅で今日の資料を印刷しながら会長の携帯に電話するが繋がらず、書記のM氏に電話して開始時間と会場を確認。

時45分、役員会が一段落したので成道会の会場に行くが、丁度講演が終了するところであった。

はパーティーに参加できる券(食事券)を持っていたのだが、あいにく午後7時からは准堂衆会の学習会(今日は「掛役」の稽古)があったため、今日は檀家まいりで朝メシぬき、昼メシぬきだったがパーティーは欠席せざるを得なかった。

習会の後、皆で近くの海鮮料理「吾作どん」に行きフグ鍋で忘年会。ようやく本日の最初の食事にありつけた。


12月10日(水)…「パソコンの修理いたします」
阪市の南端・住吉区の檀家さん宅でおまりりの後、パソコンのことで相談を受けた。

器店の人に頼んでOSをWin98からXPに変更してもらったのだが、当初は動いていたプリンタがダメになり、スキャナーも動かない。

「電器屋さんが修理に来てくれるのを待っているのだが、急ぎの仕事があって困っているので、見てもらえないか」と頼まれた次第である。

かに、プリンタは作動しない。もしかしたら製造メーカードライバではなく、XP内蔵のドライバソフトを使っている為か、と思い調べるが、ドライバは適正であった。

「コントロールパネル」ウインドゥの「プリンタ」のアイコンに「一時停止」という表示が出ていたので、溜まっていた未終了のジョブを取り消した上で「印刷再開」に変更したら正常に戻った。

キャナーはパソコンに認識されていなかった。「デバイスマネージャ」を見ると、スキャナーに「?」のマークが付いており、ドライバの異常であることが判明。

造メーカーのサイトからドライバソフトをダウンロード、インストールを行った。

より前にドライバソフトをダウンロードしたファイルがあったが、XP用ではないバージョンのものであった。電器屋さんが間違ったソフトを入れていたのであろうか?

0分ほど掛かって、プリンタとスキャナーが復旧。本当にパソコンに詳しい人なら5分で終了した作業ではあるが、檀家さんからは大いに喜ばれ、面目を保つことが出来た。

の代わり、遅れた30分を取り戻すため、電車で行く予定だった昼からのおまいりも全部スーパーカブで走ることになった。

王寺〜住吉(おりおの橋)〜千里・桃山台〜大日〜天王寺の道のりは約65km。

速道路に準じた構造の「新御堂」や「中央環状」を通る際は、他車の迷惑にならないように飛ばしつつ、速度超過で捕まらないために後方に対して細心の注意を払いながら走行し、本日のミッションを無事にやり遂げたのであった。

みに、1日走ってカブが消費したガソリンは約1.5リットルである。


12月15日(月)…「フセイン大統領拘束」
晩からイラクのサダム・フセイン氏が米軍に発見・拘束されたニュースで持ちきり。

Vも新聞も「フセイン”元”大統領」と報道しているが、それは合衆国大統領および米軍側の見方ではないのか?

を持つ訳ではないが、フセイン氏は外国軍が突然侵攻してきたから避難しているだけで、非民主的な手段でその座を追われたのである。本人は今も大統領と思っている筈だし、イラクの本当の世論はどうなのか…。西側のマスコミ報道だけでは判断つかない。

れはさておき、フセイン氏は75万ドル(約8100万円)を携えて狭い穴の中に潜んでいる所を発見されたそうだが、これって山梨の○○○○○教の教祖が逮捕された時の状況とおんなじじゃん。

セイン氏の信奉者は自爆テロで忠誠を示しているのに、当の本人は身を潜め、発見された時でも武器を所持していながら無抵抗で捕まり、生きながらえようとしている…どうも、独裁者は命が惜しいらしい。

ったら、一味に自爆テロなんかさせるなよ。


12月24日(水)…「東京へ」
に東京へ。

リスマス・イブということで、東京駅前にはクリスマス・ツリーの形になるように窓灯りを点けているビルがあった。しかも時折、照明の点灯・消灯を棟全体で一斉操作し、ウサギやトロフィーなどの絵模様に変える、という凝りよう。

ビルの前は”光の彫刻”東京ミレナリオの初日で大混雑していた。

戸ルミナリエと同じプロデューサーの催しだが、神戸の方が大規模であるようだ。

かし、神戸より先に東京を見るとは…

ビルの創作料理店で夕食し、東京での聖夜を満喫する。


12月28日(日)…「忘年会」
時から、中学校同窓会幹事(事務局員)での忘年会。

くつも忘年会があったが、今回が一番少人数で、かつリラックスできる。(何故なら、私が最年長の”ボス”であるから。)

月にハワイで挙式した”司法修習生”H君には奥様同伴で来てもらい、馴れ初めを根ほり葉ほり尋問。

いて来年2月に挙式予定の”ドクター”Kさんへの事情聴取。「アメリカ留学の出発と帰国の時に彼が空港に来てくれ、異国にもメールをくれて勇気づけられた」事が決めてとなったとか。

からも”重大発表”を聞かされて「もう、勝手にしてくれ」とヤケ気味になっていた長崎大助手のバーバー君。その彼にトドメを刺したのは、遅れてやって来た「もてない君」(ゴメンね)と思われていた後輩からの「僕にも5年前から彼女がいます」という告白であった。



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