日記帳


■2003年 5月分■
5月8日(木)…「大雨」
月、4月と雨続きだったのに、ゴールデンウィーク中は降らなかった。今朝はその分をまとめて”10倍返し”のような大雨。

一番にJR奈良の隣り、「平城山(ならやま)」駅近くの檀家さんへ雨の中出発。

瞬「マイカーで」とも思ったが、その後の予定を考えて電車を利用したが、裏目に出た。

城山駅までは天王寺駅からJR大和路(関西)線の快速で乗り換え無しなのだが、早朝からの雨の為、快速が急遽運転打ち切りとなり、奈良駅で降ろされた。

良から一つ隣りの平城山へは、JR奈良線の普通列車でも行けるのだが、こちらもダイヤが大幅に乱れていて、「50分遅れの到着」とアナウンスされていた。

雨がきつく、京都行き普通の到着を待つホームでも傘が要るような状態。

うやく到着した普通列車。すぐに折り返しの出発となったが、発車してから「雨のため徐行運転します」とアナウンス。

速50km程度のノロノロ運転で、普段の倍くらい掛かって平城山駅に到着。出発も遅らせたので、いつもより1時間遅れの到着となった。


5月16日(金)…「NTTの代理店からの電話」
近、NTTの代理店を名乗り「お宅の電話回線はどうなっていますか」という電話が頻繁に掛かってくる。

かも、相手の電話は「非通知」になっている。

朝も「NTT代理店の○○○サービスです」と名乗る電話が掛かってきた。

TT代理店(以下、N):「お宅の電話はアナログ信号になっていて、電話料金を余分に払っている状態です。」

侶A(以下、A):「はあ…」

:「この番号の他に別の回線もお持ちですよね? デジタル信号にすれば事業用回線がお得になります…」

:「ちょっと待って。その回線の名称は?」

:「ISDNですが」

:「それなら必要ありません。さようなら。」

んと、代理店を使ってNTTはISDN化を推し進めようとしているが、今回は《あなたは電話代を余分に払っていますよ》と、こちらの不安を煽るような勧誘をしてきたので、カチンと来た。

DSL回線でインターネットをしている当方としては、ISDN回線は無縁である。

在のアナログ回線+ADSLインターネットの環境は、ISDNよりも快適かつトータルで安上がりなので、今は変更する必然性が無い。(ISDNにしてしまうと、ADSLインターネットが出来なくなる。)

TT自身は「光ファイバー」に力を入れ始めているはず。「NTTの代理店」は、真っ当な会社なのだろうか…。


5月28日(水)…「塾の担当」
日、来週、再来週の3回、声明塾の担当になっている。

明塾は毎週水曜日の午後6時50分〜8時50分の授業で、年40回×2年間=80回で大谷派の声明の大半を稽古する。

在の受講生は8期生。(募集は2年ごと。)

回の私の担当は念仏和讃 三淘。

初はほぼ100%だった出席率も、2年目を経過した現在は50%。その分、受講生一人ひとりに目が届くようになるので、担当者としては力が入る。

っとも、今日は力が入りすぎて途中休憩無しに120分授業を続けてしまった。反省。


5月29日(木)…「編集会議」
月11日、カンボジア平和法要反省会の席で「旅行の写真集を作るように」という指令を受けていた。

中の出来事の詳細記録をクスキ氏が作成していたので、参加者それぞれが撮影した写真の中から選りすぐりをその文章に「資料映像」として付けていく、まさに「旅行の全記録集」の作成であった。

のパソコンが一番機器が揃っているので、写真の取り込み(スキャン)とDTPソフトでのレイアウト作業を引き受け、ほぼ毎晩、深夜(明け方近く)までを続けていた。

週間かかって全38ページの入力が終了。拙宅までクスキ編集長にご足労頂き、二人でレイアウトの手直しと誤植修正作業を行った。

初は本堂で会議を、と思っていたが、畳の部屋よりもパソコンを置いてある離れの方が洋間で椅子式なので楽だろうと、会合の1時間前から大慌てで掃除をした。


5月31日(土)…「タイヤがパンク」
体のお寺は31日を「休日」にしており、宗恩寺も逮夜まいり(檀家まいり)の予定が無い。

かし、今日は午前と午後に法事があり、会社で言うところの「休日出勤」。

家用車で能勢方面の法事に向おうと、駐車場から車を出し扉を閉めようとしていて、右側前輪のタイヤの空気が抜けているのに気が付いた。

で押しても簡単に変形するほどだったので、これでは高速道路は走れない。

旦お寺へ回送し、空気を入れてみた。

ルブにキャップを付けようとした時に、エアが漏れる音がした。

くのガソリンスタンドで聞いたところ、「ゴム製のバルブに亀裂でも入っているのだろう。でも、うちには部品が無く修理出来ない」という返事。

のタイヤショップを探すか、とりあえずスペアタイヤに交換するか…と迷ったが、法事の予定時刻が迫っている。

う一度タイヤをチェックしたところ、特にへこんでいなかったので、今日はこのまま走ることに。

側のタイヤに負担が掛かる左カーブは極力減速して、常にタイヤの空気が減ってきていないか意識しつつ、能勢まで車を走らせた。

果、先方には15分遅れの到着となったが、タイヤは往復に耐えた。



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