日記帳


■2003年 4月分■
4月1日(水)…「住職がダウン」
日から住職の腰痛が激しくなり、今日から休業。

要は住職と僧侶Aで分担していたのだが、今日からはその一切が私にかかってくる。


4月2日(水)…「中学校の入学式/声明塾担当」
は中学校の入学式に、同窓会役員としてスーツ姿で出席。

しい教頭先生が着任されていたので、名刺を渡し挨拶をした。

式後、お寺にとって返して法衣に着替え、檀家まいりに出る。

して夜は大阪教区准堂衆会主催「大阪声明塾」の授業のため、難波別院へ。

明塾の今年度の授業も今日と来週の2回のみ。

終回は一年間の総まとめとして模擬法要を行う。今日はその予行演習。内陣、外陣、掛役の配役を決めて、法要の流れに従って通し稽古を行う。


4月3日(木)…「全国准堂衆会総会」
都・東本願寺で全国准堂衆会の総会が開催された。

年7月に会計職を引き継いで、役員として最初の総会である。昨晩から大急ぎで100名分の領収書と、総会で配布する決算書および教区別の年会費納付状況一覧表を作成しコピーを行ったが、何とか出発前に作業を終えることができた。

都へ行く前に1軒、中陰のおまいりがあったのだが、お寺へ戻って着替える暇がないで、法衣のまま資料を詰めたカバンを提げて上山した。

場で会費の受付を行う。総会が始まったな、と思っていたら急遽副会長から「出番だ。すぐ来い」と呼ばれた。

拝接待所地下の視聴覚ホールが今年の総会の会場であった。客席は傾斜のきついすり鉢状の構造になっていて、会計報告のために壇上に立って客席を向くと、大半の会員は奥=上の方に座っているので、遠くから見下ろされる感じで非常に話しづらかった。何も質問されることなく、無事終了。


4月4日(金)…「中学校へ」
日、今年度の同窓会総会の準備を任せている大学生に進捗状況を尋ねたところ、「3月の末に、日曜日に中学校で打ち合わせの会議をさせてもらえないかと教頭先生願い出たのだが、使用を断られた。どうしましょう」という返事。

月から教頭先生が交代しているので、中学校へ行って新任の教頭先生と直接交渉をした。

「13日、20日とも出勤することになっているので」と、あっさり学校での会議の許可が下りた。あとの準備は後輩に頑張ってもらおう。


4月5日(土)…「区仏教会」
7時から、四天王寺本坊で区仏教会の定例役員会。お寺5軒・6名分の源泉所得税を納付し、組合のお寺への配布物を受け取る。


4月9日(水)…「声明塾と習礼を欠席」
化センターから「研究紀要に載せる儀式教学研究班の成果を提出するように」と言われていたが、その提出期限が迫り必死でパソコンへの入力作業を行う。

取りかかっている作業は和讃の構成を分析した「科文」の解読・清書である。元々筆書きの古文書なので、読みとりにくい字がいくつかあり、科文に和讃を対照させてワープロソフトで清書するだけだが、非常に時間がかかる。しかし、ここで電子化しておかないと、後々の編集で苦労するので頑張るしかない。

日は難波別院で声明塾の今年度最終授業の模擬法要があり、大和大谷別院では御遠忌法要の習礼(稽古)がほぼ同時刻に重なっている。その上に研究の整理が加わり、全部はこなせない。

分が欠けることで一番影響が出るのは研究紀要の件なので、声明塾と習礼は欠席せざるを得ない。


4月11日(金)…「お経の稽古」
7時半から声明を習いに出かけた。

化センター「研究紀要」への原稿を先生に確認してもらうため、出発前まで必死の入力作業。

帖和讃のうち、浄土和讃と高僧和讃は清書が出来たので印字を始めたが、結構時間をとられて、お寺を出発できたのがほとんど授業開始時刻であった。


4月14日(月)…「またもブッキング」
後4時から難波別院で全国准堂衆会の事務局会議。檀家まいりの続きで出席。

つもなら6時頃に終わる会議だが、今日はまだ結論が出ず長引きそうであった。

晩は7時からお通夜の予定があった。住職がまだ静養中で私が勤めなければならないので、早退させてもらった。

た今日は准堂衆会の掛役の稽古日でもあった。21日に行う模擬法要習礼前の最後の稽古なのだが、欠席せざるを得ない。


4月16日(水)…「巨大タンポポ」
鉄大阪線・長瀬駅の下りホーム(八尾方面行き)の脇に、茎の背丈が40センチはある巨大タンポポが数株生えていた。

は難波別院内・教化センター会館において「儀式と教学の接点を探る」というテーマで講義があった。講師は大谷大の岩田宗一先生。久しぶりに400ccのバイクを引っ張り出して聴講に出かけた。


4月20日(日)…「大忙し」
日は法務手伝いの役僧が講習会を受講するため休むことになった。

職も仕事を控えていて、とても檀家さんを回りきれない。法事だけは1ヶ月も前から時間を約束していて、先方も親戚にも案内を出し準備をしているので優先し、勝手ながら普通の月命日のおまいりは、日を前後に振り替えていただいた。

こへお葬式が加わり、一層超過密スケジュールになった。朝11時の法事の家に無理を言って開始時間を30分繰り上げていただいた。

模様の中、年忌法要、お葬式、満中陰、祥月命日、満中陰。そして最後に難波別院で御遠忌の習礼(稽古)と、朝から晩まで休む間がなかった。


4月21日(月)…「准堂衆会模擬法要の習礼」
務と雑用に追われて、復習をしないまま模擬法要習礼に参加。

当は掛役。先週の稽古を欠席した報いで、手順をいくつも間違えた。

「間違えることで身に染みて覚えていくしかない」と開き直って5月8日の本番でリベンジするしかないのだが、これほど法要の流れや作法を把握できていないとは…。


4月22日(火)…「勘のいい駅員さん」
営地下鉄の1区間の特別回数券を買おうと、駅長室へ入った。

ウンターには先客が2人いたので、陳列されているパンフレットを見回して取り次いでもらう順番を待っていた。

ると「お待たせしましたー」と、奥から駅員さんが回数券を取り出して来た。

だ注文をしていないのに希望の切符を持ってきたので、「どうして分かったの?」と尋ねてみた。

「2,000円を持ってたから…」とは、見事な観察力。

ルッとKANSAIのプリペイドカード2,000円分を買い求める場合も考え得る状況なのだが、長年の経験と勘で「回数券だろう」と見抜いたのか。

後から時間が空いたので、中学校へ書類を提出に行く。校長先生や教頭がおられたので、中学生のクラブ活動の一環としてホームページを作りませんか?と持ちかけ、パソコン部への出入りの許可をもらう。

校近くのバッティングセンターへ。靴下に穴が空いた。

4ヶ月ぶりに散髪が出来る…と思いきや、近所の床屋は今週の月・火と連休で閉まっていた。早く髪を切りたいー。


4月26日(土)…「散髪」
方、ようやく散髪をしてもらった。

は、中学校の同窓会総会準備の会議で、後輩に本堂を貸す。

よそ20名くらいが集まるのだが、リーダーである大学生の都合で集会が夜7時からになってしまった。こんな時間から中学校では会議が出来ないし、大勢が一堂に会することができるようなお屋敷は都心にはないので、どうしても頼られてしまう。

堂でガヤガヤやっていると、通りすがりの人が入ってきて「今日は報恩講さんですか?法話の会ですか?」と尋ねられた。

前に伝導掲示板を設けてから数年して、徐々に檀家さんでない通りすがりの方から声をかけられたりインターホンで呼び出されて、掲示板のことばの意味を質問をされるようになった。

設置前には、通行人から声を掛けられることは全く無かった。「仏教の話を聞きたい」と望んでいる「一般の方」がある、ということを強く感じるようになった。真宗門徒以外にも気軽に参加してもらえるような聞法会の形を考えなければいけない。

議の後、社会人の同窓会幹事と共に「同窓会報」の編集会。高校生たちが書いた原稿を、パソコンでレイアウト。ついでに印刷まで行ったので、就寝が1時すぎになってしまった。明朝4時半に起床できるだろうか…。


4月27日(日)…「大和大谷別院へ」
事に午前4時30分起床。大和大谷別院の「蓮如上人五百回御遠忌・開基四百開基御遠忌」晨朝(おあさじ)および日中の出仕のため、5時30分に出発し、車で大和高田市にある大和大谷別院へと向かう。

朝で、高速も一般道も空いている。6時20分に別院着。

気にも恵まれて、滞り無く御遠忌は終了。

方自宅へ戻り、日頃の疲れをとるために横になる。ゴロ寝は最高。



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