日記帳


■2003年 2月分■
2月1日(土)…「ホーチミン市内観光とメコンクルーズ」
いにカンボジア・ベトナム旅行の最終日。

前中は市内観光。サイゴン大聖堂とその向かいの中央郵便局を見学。

央郵便局は、元々はサイゴン駅として計画されたものだが、ルート変更となったため郵便局に転用されたそうだ。

いて統一会堂へ。ここは元・南側政府の大統領府であったが、アメリカの撤退後、南北統一の会議場となる。

して、ホーチミン市からバスに揺られて1時間30分、メコン河に近いミトーに着く。

食は川縁の屋外レストランで名物のエレファント・イヤー・フィッシュやライスボール(お餅の風船)のランチ。

してメコンデルタ・クルーズへ。

コン河は対岸が見えないほどの大河であった。向こう岸に見えたのは「中州」であった。

や大きい船でその中州へ渡り、村の中を見学。

後の休憩所ではおじいさんと親父さんの楽器演奏に合わせて子ども達や店員が変わりばんこに唄を歌ってくれた。

正月なので、女性達は赤を基調とした鮮やかな民族衣装を着ていた。特に中山忍似の子が気に入った。

番最後に「蛍の光」を演奏してくれたので、我々も負けじと大合唱。

族衣装のみんなに並んでもらい写真を撮ろうとしたのだが、とある先輩に「撮ってやるから一緒に並べ」とカメラを取り上げられてしまった。

山忍のアップを撮れず残念。

州の船乗り場からは、三角の帽子を被って小舟に分乗し、密林の間の支流を抜けていく。気分は「ランボー」。

林を抜けてメコン河本流で待っていた最初の大船に乗り換えて元の岸へと戻る。

びバスに乗り1時間30分、ホテルに戻り帰国の為の荷造りを行う。

トナムでの最後の夕食の時、レストランから綺麗なポチ袋で「お年玉」をもらった。(中身は20000ドン…日本円にして200円程度。)

ーチミン空港から深夜便で日本へ。


2月6日(木)…「姉と甥がやって来た」
海に済んでいた甥が、高校受験のためにその母(=実姉)と共に一時帰国。

ばらく我が家で寝泊まりすることになり、私が使っていた離れの和室を姉たちに譲ることになる。

の間、私は隣りの洋間(コンピューター室兼物置きと化している)で寝ることになった。

度準備講習のテキスト作成を依頼されていて、翌日の検討会議に間に合わせる為に今日は徹夜の作業となったのだが、隣の2人を起こさないよう物音を立てずに気配りしての作業は大変であった。


2月12日(水)…「OSKのミュージカル」
本町の近鉄劇場でOSK日本歌劇団のミュージカル「新 闇の貴公子」を観劇。

急系列の宝塚歌劇団に比べて影の薄かった近鉄系列のOSKは、近鉄本体が赤字続きのため、5月以降近鉄の支援がうち切られることが決まり、存亡の危機にある。

年前に「OSKの養成所(宝塚で言えば宝塚音楽学校にあたる)を閉鎖する」というニュースを聞いた時に、OSK自体の解散も近いと感じていたので、「支援打ち切り」のニュースには驚かなかった。

応、6月からは「市民劇団」として継続することになっているのだが、新入団員が途絶えているので消滅は時間の問題であろう。

伝のスチール写真が格好良かったのと、今回の公演が近鉄劇場でのOSK最後の公演ということもあり、初めてOSKの舞台を観ることにした。(幼い頃にあやめ池遊園地で通りすがりに観たことがある程度であった。)

目は「闇の貴公子」----現在大ブレーク中の夢枕獏原作、安倍晴明を主人公とした陰明師のミュージカルである。

台が手狭なのと、ストーリーにやや無理があると感じるところはあったものの、総合的には素晴らしい出来であった。

くに後半、晴明のしもべである「式神(しきがみ)」達が晴明を守るために進んで敵と戦い、次々と命を落としていく場面では久々に目頭が熱くなった。

ィナーレのラインダンスも威勢が良く楽しいものであった。

後にトップスターの那月峻が背中に大きな羽を付けて階段を下ってくるのだが、この辺りは宝塚と手法は同じである。

しいかな、近鉄劇場の舞台規模では大階段の高さがなく、スターが引き立たない。

念にパンフレットを買って帰った。後日両親が宝塚歌劇を観に行った。両親が持ち帰った宝塚のパンフレットと比べて、OSKのパンフの薄いこと薄いこと…。

つて近鉄バファローズを応援するOSKのチアリーダー達に敵側のスタンドから「宝塚の落ちこぼれ!」と強烈なヤジが飛んだと聞き及んでいるが、そう言われても仕方がない劇場施設や支援体制であった。

かし手抜きやあきらめを微塵も感じさせない凛々しい今日の熱演は、宝塚にも負けはしないと言いたい。


2月14日(金)…「松っちゃん帰阪」
くばの松っちゃんが木・金と兵庫県への出張となり、週末に大阪に立ち寄ることとなった。

接会えるのは、去年の12月22日以来である。

6時、実家に戻った松っちゃんから電話があり、先ずは我が家へ来てもらい、一緒に中学校の先輩が女将さんをしているという創作料理の店へ行くことにした。

の途中で寄り道となるのだが、用事を済ませに事務所へ寄った。

つもお世話になっている親切なOLさんたちのことを以前から松っちゃんに話をしていたので、ついでに松っちゃんにOLさんを紹介することにした。

「中学以来の友人の松っちゃんです。今は茨城県のつくばに居るのですが、今日は出張で大阪に帰ってきています。」と紹介したら、松っちゃんはOLさんに名刺を渡し、「これから僕たち、近くの店で食事をするのですが、よかったらどうですか?…Aよ、店の地図と君の携帯番号を渡すんだ。」

「ぐるナビ」のクーポンに付いていた地図を渡した。

も、OLさんたちが来てくれればとても嬉しいのだが、彼女たちに「実はAさんて、変な人なんだ」と思われたらどうしよう?なんて考えたら急に恥ずかしくなり、しどろもどろになってしまった。あぁ〜、駄目な私。

「もし仕事が早く済めば行きます」という返事をもらったが、あまり期待をしないで店へ向かう。

の名前は「和風創作料理 多満串」という。ビルの地下1階にあり、カウンター席が主で、奥に少し椅子席がある程度。女将さんと息子さん、他1〜2名の店員でやっている小さめの店であったが、我々が入って間もなく満席になり、後からのお客には諦めてもらう程に繁盛している。

将さんが直々に水を出してくれたので、「同窓会の会長の紹介で来ました。天中の後輩で、会長の部下として現在、同窓会を切り盛りしています」と切り出した。

将さんは非常に喜んでくれて、時折手が空いたら我々の席に来てくれて、「会長には、妹のようにかわいがってもらっています」等々、中学校にまつわる色んなエピソードを話してくれた。

ころで、さっきのOLさんは?…店が地下のため、「圏外」で呼び出しが鳴らない。

へ確かめに出たら、留守番メッセージが入っていた。

「一人が、まだ仕事が終わらず遅くなるので、今日のところは失礼します。」……残念でした。

っちゃんや、女将さんを交えての話に花が咲き、いつしか他のお客はみんな帰っていて、我々だけが残っていた。

店時間を少し超過してしまったのだが、女将さんは実に親切にしてくれた。

っちゃんは我が家に泊まることになったのだが、私の部屋が姉たちに占領されていて、パソコン室は一人寝るので精一杯。そこで、本堂と一体の、普段は無人の旧庫裏へ2人で布団を運び、そこで寝ることにした。


2月15日(土)…「同窓会のお仕事・ボウリング・焼き肉」
日は、松っちゃんの帰阪に合わせて、天中同窓会の世話役で集まり、仕事兼遊びの会を開く段取りになっている。

食後、午前中の約束で少し離れた場所の檀家さんへのお参りがあり、家に松っちゃんを残して出かけた。

12:00 近所のファミレスで昼食。

13:00 同窓会会員名簿入力作業開始。宗恩寺に同窓会メンバー有志が集まり始める。
 ……今春、天王寺中学校を卒業する新会員に渡す「会員名簿」の版下作成の為、住所・氏名・電話番号など事前に生徒に調査票を配り記入してもらっていたパーソナル・データをパソコンに入力する作業を、我が家の2台のパソコンの他、後輩が持ってきたパソコンも動員し、手分けして行った。
 ←例年ならこの作業は僧侶Aが真夜中に一人寂しく行っていたものであったが、今日は松っちゃんの他、後輩のエージ君(松っちゃんの弟)、ホリ君、ハラサワ兄君、ハラサワ弟君、ナカタ君、さらにはワカマツ先輩が差し入れに来てくれて大にぎわいであった。

16:30 入力作業が一段落し、宗恩寺を発ち「昭和町カスタム」へ(タクシー組と自転車・バイク組に分かれて)向かう。ナカタ君は仕事のため、ここでお別れ。
 ……実は予定より30分遅れで、ボウリングから参加予定だったヤマダさんをカスタムで待たせてしまった。

16:30〜18:30 「昭和町カスタム」にてボウリング大会。
 ……1ゲーム目は個人戦。2ゲーム目は、「天中同窓会方式」による団体戦=個人戦の最高点と最低点のペア、上から2番目と下から2番目がペア…となる。2ゲーム目の途中からテラシマ君が合流。

19:00からは「人喜屋」昭和町店にて焼き肉パーティー。
 ……90分という時間制限付きながら、焼き肉のお代わり自由(食べ放題)というワカマツ先輩からの情報を得て、この店にした。

ルコールも入り、みんなの口が滑らかになってきた頃、紅一点のヤマダさんに対し、誰かが「このメンバーにいい男はいないの?」と聞いたところ、「全然!」という答え。

らにヤマダさんのコメントが続く。

「僧侶Aさん、10年くらい前のこと覚えている?誰かがあなたに『ヤマダさんのこと、どう思う?』と聞いたとき、『全然、何とも』と言ったのを私、聞いてたのよ!やっと今日、言い返すことが出来たわ!」 ……本日、一番の爆笑コメントでした。

んなことを言った記憶はないのだが、10年前なら別の後輩のことで頭が一杯だったから、言いかねないなぁ……何はともあれ、お互いそんなことを言って笑い飛ばせる集まりは楽しいものだ。

を出て、全員で再び宗恩寺へ戻る。

っちゃんの指導で「変則七並べ」をやり、負けた者が昼に入力したデータのチェックをすることに。

しい時間は早く過ぎるもので、気が付けば日付が変わろうとしていた。

朝、一番の新幹線で帰京する松っちゃんは実家へ戻ることになったが、京都の下宿に戻れなくなったホリ君がお宿宗恩寺に泊まることになった。


2月22日(土)…「前進座の芝居鑑賞」
団からの紹介で前売り券を購入していた前進座の公演を観に、ミナミの国立文楽劇場へ。

が降っており、父と2人だったので往路はタクシーを利用した。

しかし千日前通りが大渋滞で、開演に遅れないかヒヤヒヤものであった。

目は井上靖原作「天平の甍」。鑑真和尚の物語である。

者はマイクを通さない生の声を客席まで響かせる。脇役の中には声の小さい人もあるが、主役の嵐圭史の声は良く通る。



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