日記帳


■2002年12月分■
12月3日(火)
分のこれまでの年譜(バイオグラフィー)を作成したが、小学校から大学までは、その出来事が何年(何歳)の時の事であったかを比較的正確に思い出せるのに対して、それ以降の記憶は非常にあいまいなことに気付いた。

生時代は、その学年と対応させて出来事を記憶しているので正確なのであろう。

れ以降の出来事は、もしも写真の日付や手帳などの記録が残っていなければ、「○年の出来事」と断定しては書けない。

トクロスのバイクの購入やテレビ出演が何年の何月であったのか、実は記録が見つからず、今も思い出せないのである。

りにも最近の出来事を覚えてなさ過ぎることに少々恐怖を感じた。

12月7日(土)
日は朝から曇り空。

のテレビの天気予報は「降水確率は午前中20%、午後50%で、お昼から近畿の南部から雨になる」と予想している。

のため、折り畳みではなく普通の傘を持って仕事に出かけたが、間もなく雨がパラついてきた。

から雨という予報に賭けて雪駄は晴天用を履いて出たが、一日中小雨の天気になってしまった。

かし、昨日(6日)の朝○新聞の夕刊の予報は、7日は朝から夜まで「雲」のマーク。しかも降水確率の記載がない。

自で予報を出しているのであろうか?…これまで何回か「傘」のマークが出ていないのにも関わらず雨に降られている。

○新聞の天気予報と気象庁発表と、どちらが的中率が高いのか。

己責任で雨の用意ができるように、朝○新聞には、判断の材料である降水確率の掲載をお願いしたい。

12月8日(日)
気ネタが続きます。昨日の日記の訂正から。

らためて7日の朝刊を見直したところ、9時から18時までの予報はちゃんと「畳んだ傘」のマークになっていました。

○新聞と気象庁の予報は的中でした。朝刊の予報欄をきちんと見ずに非難めいたことを書いて申し訳ありませんでした。m(_ _)m

ころが…今朝の新聞では一日「雲」マークだったにもかかわらず、、実際には11時前ころより小雨模様となり、1日雨の天気であった。今日はハズレと言っていいでしょう。

時間ごとの予報は第1面に「太陽」「雲」「畳んだ傘」「開いた傘」「星」などの絵記号で表されていて、裏から3面目の社会欄に6時間の降水確率と予想気温、天気図などが載っています。

のように、予想天気と降水確率を離して掲載してあるのですが、スーパーで買い物をする時にスパゲッティーとミートソースの棚が離れていて探すのに苦労するような、或いはナンとキーマカレーが離ればなれになっているような、はたまたお米とカレーのルーが別々に…あ、それは当たり前か!…とにかく、ちょっと不便に感じます。

12月15日(日)
日の法事の途中で念珠(数珠)の紐が切れました。

れたのが房の部分だったので、珠(たま)が飛び散ることもなく済みました。

方にもう一軒法事があるので、昼にお寺に戻った時、予備の念珠と交換しました。

り替えの為に棚から出してきた念珠の修理の跡を見て思い出しました。この念珠は、昨年の12月、名古屋別院(東別院)の報恩講に参勤した折りに、別院の真向かいにある仏壇店で購入したものなのです。

入して2〜3ヶ月ほど(使用したのは数回)で紐が切れてしまったのですが、名古屋の店まで持っていく訳にもいかず、自分で修理したのでした。

珠の修理は意外と値が張るので、すぐに紐が切れたときのことを考えてやはり近くの店で購入するべきだと思いました。

かし以前、地元の珠数屋さんがご用聞きに来たので、買ってあげようと思い「半装束念珠はあるか?」と尋ねたところ、「そんな数珠は扱っていません」という返事がかえってきました。

谷派でよく用いる「半装束念珠」は、白(水晶)珠と黒珠を用いた、いわゆる「パンダ」のような数珠なのですが、他宗では用いられないようです。

12月17日(火)
輩の取り計らいでスッポン料理店で忘年会。

ッポンを食するのは初めてだったが、出されたものは全部平らげることはできた。

の感想は、美味か否かと問われればれば美味に入るのであろうが、全体として生姜味が印象に残っていて、「ふーん、これが噂のスッポンか。毎日食べるようなものではないな」位の言葉しか出てこない。

輩方は堪能されていた様子なのだが、ファミレスで十分に満足するような味覚しか持ち合わせていない私は、どんな一流の店に行っても、「他店とは違うな」くらいは分かっても、その「本当の良さ」を理解できない最低の客だなあ。

つてダウンタウンの浜田さん他が司会で、一流品と安物の二者択一のクイズによって芸能人のランク付けをするTVのバラエティー番組があったが、僧侶Aは間違いなく「映す価値無し」になってしまうだろう。

れはそうと、今年の12月8日は、自分が見た限りではTVも新聞も取りたてて昭和16年について触れていなかった。

輩の話ではBS放送ではやっていたそうだが(我が家はBSに入っていない)、報道機関に何らかの申し合わせ、あるいは報道統制がなされた訳ではないでしょうね。

12月22日(日)
くばの松っちゃん宅を訪問する為、(21日の深夜24時30分)大阪駅から特急あさかぜに乗る。

少期から憧れていたブルートレインだが、走る寝台車では熟睡は出来ないものだ。

くばの駅についたのは朝9時前。Chikaちゃん(松っちゃんの奥さん)が車で迎えに来てくれていた。

度一年ぶりの訪問だが、子ども達は覚えてくれていて、家に着くなり大歓迎を受けた。

例の、4人で対戦できるTVゲームをするが、とても子ども達には敵わない。でも、なぜか負け続けても悔しくない。

れより、ゲームによっては時々2人ずつ組になってクリアしなければならない場面があって、私とペアになったためにそのゲームに負けてしまった子に責められるのがつらかった。今回は完全に個人戦ばかりで組になることがなかったので「平和」だった。

ちの子と同い年の女の子「あーのちゃん」に一番気に入られ、その子の相手をしながら他の子の話も聞いてあげるのはさながら「プチ聖徳太子」。

後には「運転手」としてChikaちゃんと共につくば学研都市の中心にある百貨店やケーキ屋巡り。帰りの夜行バスの切符も購入。

い物から戻り、今度は順番に子ども達を肩車。

食、お風呂の後、お待ちかねの「クリスマス(兼、松っちゃんの誕生日)ケーキ」。

も遅くなり、子ども達は居間の隣りの部屋で寝る体制に。

切りの襖をちょっぴり開けてこっちを覗こうとしているのはお姉ちゃんの「どりちゃん」かな?

ーのちゃんに手を引かれて子ども達の寝室に行った時、不意にドリちゃんから折り紙を手渡された。

の裏には「僧侶Aさんまたあそびにきてね!まってるよ!たのしかったよ!!どり」と書かれていた。

が僧侶Aにくっついているので、本当はもっと遊びたかったのに遠慮してるどりちゃんからのラブレターでした。

日は朝から仕事なので、つくば22時48分発の京都・大阪行き夜行バスで帰路につく。

なり深くリクライニングできるシートになっているが、バスでも熟睡は出来なかった。

中で腰が痛くなってきたが、深く腰を掛けることで解消。

距離バスは低料金が魅力だが、鉄道よりもカーブでの遠心力が強く感じられた。

た、路面からの突き上げを感じさせないために柔らかいサスペンションになっているので、翌朝、一般道に降りてからバス酔いになり苦しかった。(市バスのような堅い足回りが好みなのだが、それでは振動が大きくなり、他のお客が許してくれないだろう。)

行の旅は、腰に負担の掛からない寝台列車に軍配を上げたい。

12月30日(月)
日で今年度の檀家詣りは終了。

ガキ自体は11月に購入していたのだが、仕事の道中の寒風に体力・気力を奪われることもあり、毎朝「今夜こそ書くぞ」と誓いながら、結局今日まで年賀状を作成できなかった。

賀状作成が遅れる理由はもう一つあり、(これが最大の問題なのだが)毎年自作のイラストにするのだが、そのアイデアが浮かばないためなのである。

つては写真にしたこともあったが、受付の期限があり、周到に準備をしておかないと、年末ギリギリには頼めない、という問題がある。

い加減にイラストに凝るのを止めれば良いものだが、既製のイラストを使用することをヨシとしない(どこかで見たゾ、と思われるのが嫌い)性格であり、本人は絵を描くことを楽しんでもいるので、どうしても止められない。

12月31日(火)
夜から続けていた年賀状の作成作業。

前2時頃にはイラストの決定稿が出来、印刷に取りかかる。

ラストは、WACOMのペン入力液晶タブレットを使用し、Painter Classicで線を描き、ウインドゥズに附属のペイントで着色という手順。

晶タブレットの購入前は、紙に描いたイラストをスキャナーで取り込んでペイントで修正していた。(パソコン入手前は、手書き原稿から白黒コピーで印刷していた。)

00通の宛名を書き、コメントを入れていたら朝になっていた。

と仕事終えたので昼までひと眠り。

髪も後回しにしていたので、「今日こそは」と4時半頃に床屋へと出かけたが、いつもの店はもう閉店していた。

学校の後輩で、同窓会の幹事の「部下」の家も床屋なので立ち寄ってみたら、ここは営業中であった。

だ、後輩の両親(=2人)が切り盛りしている店なのに散髪中のお客が2名もいたので、一旦店の前を素通りして周囲を一回り。

の前に戻ったところで、お客の1人が出てきたので入店。

ると、お母さんから「練習と腕前の披露を兼ねて息子にさせます」ということで、「後輩」に散髪してもらうことになった。

前の約束もなく飛び入りで行ったので、博士論文の締め切りが1月中旬に迫っている後輩(実は理容師の免許を持った大学院生である)もビックリしたことだろう。

来映えはというと、不満は全くない。

自身は食事と散髪には無頓着で「違いが解らない男」なので、それ以上のキチンとした感想は言えないのであるが…。

月に同窓会幹事の新年会があるので、その席で皆さんに判断してもらうことにしよう。

のHPの更新をしているうちに、2003年になっていた。


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