日記帳


■2002年10月分■
10月15日(火)
今日から日記帳を始めます。

近所のファミリーレストラン(○イヤルホスト)へ3人で行った。サイドディッシュとしてピザを1枚注文したので、気を利かせたウェイトレスが全員の分の取り皿を配ってくれたのはいいが、「ごゆっくりどうぞ〜」……空のお皿以外に、まだ何も料理が来ていないのに……

※毎日は大変なので、何かネタが出来たときにだけ書き込むことにします。

10月18日(金)
フォトギャラリーをアップした。ポジをスキャナーで取り込みPhotoshopLEで加工するのだが、なかなかバランス調整が決まらない。(カラーより白黒の方が難しい。)写真部のOBが見たらうるさいだろうな…。

液晶モニターを使用しているが、ブラウン管で見たら変かも…。

でも、スポッティングは楽ちん。オリジナル写真で邪魔に感じていた「Door」の側壁にあった電灯のスイッチも綺麗に消えちゃいました。

タイの写真のAまでアップできたけれど、次はBアユタヤを走るダイハツのミゼットなどをアップする予定です。(2:00AM)

10月19日(土)
朝、お寺の「伝導掲示板」を張り替えていたら、通りすがりの女性から「いつも読んでいます。ありがとうございます。」と声を掛けられました。

掲示板を初めて約2年になるのですが、「ありがとう」という反応は初めてでした。

特別なことは何もしていません。たまたま、今朝は初めて独自の「手書き」のものを張ったのですが、それまでは月毎に南御堂(難波別院)が作成してくれている(印刷された)法語ポスターをただ張っていただけなのです。

そんな声を掛けていただき、松嶋菜々子が出ているキリン生茶のCMじゃないけれど、ありがとうと言われて、ありがとうを言いたくなりました。

でも、見知らぬ人に私から先に「ありがとう」という言葉を掛けられるだろうか…

10月21日(月)
午前中は異常の無かった「書き込み帳」が、昼過ぎに見たらTea Cup(掲示板の提供元)のHPに変わっていた。

開設後、設定変更をする時にパスワードを誤入力したので警告が出たことを思い出し、てっきり削除されてしまったものと思いこんで、プロバイダ提供のものに変更をしました。

その作業中にPCが不調(モニタ画面が灰色になってフリーズ)になってしまった。いつもならスキャンディスク一発で治るのに、今回は3回かけても、再起動してIE6.0を起動するとフリーズする。一度PhotoShopを起動させてみたら復調した。不調はIEのせいなのだろうか?

新規の板を開設したところで試しに元の板をプラウザーで開いてみたら、ちゃんと出るではないか!

またまた、新規の板を閉じて復旧したのだが、これだけで午後がつぶれてしまった。

急いては事をし損じる、ということでしょうかねぇ、ハァ…(ため息)。

10月22日(火)
今日は久しぶりの完全休養日…のはずだったが、お葬式を勤めることになり、休日返上。これがお寺の生活です。

AM神戸を聞きながら車で式場へと向かったのだが、「今日の近畿地方は朝からいい天気で…」と話している。でも、頭上はどんよりとした曇り空。大阪市の天王寺区から平野区にかけては近畿ではないのか?

お昼頃は確かに晴れたが、午後から再び曇り空に。

このサイトを開く直前の10月初めにあった電話のことだが、「天王寺税務署の個人課税課の○○です。僧侶Aさん、いますか?」と女性からお寺に掛かってきた。

私は所用で外出中だったので家人が応対したが、留守だと言うと、「携帯電話をもっているでしょう。番号を教えて欲しい」と言ってくる。

「携帯は持っていない。こちらからかけ直させるので、そちらの番号を」と聞き返したら怒って切ったそうだ。

税務署に問い合わせたところ、「職員の○○は実在するが、男性であり、課も違うし、誰もそちらへ電話はしていない」とのこと。

かなり前には、東京の新宿の健康保険庁と名乗る者から、僧侶Aの住所等を確認する電話があった。母が電話に出て応対している最中に私が戻ってきたのだが、母がそのまま応対を続けた。

「こちらからかけ直す」と言っているのに、いつまでもしつこく聞き出そうとしてくるので、怪しいので当然こちらはまともには答えはしない。しまいには相手も怒り出して「ババアに言っても仕方ない」と言って切られた。

相手がしぶしぶ言った連絡先に電話を掛けてみたが、「現在 使用されていません」であった。

徐々にだが、僧侶Aをターゲットにした電話が多くなってきた。業者も生活がかかっているのは分からなくもないが、みなさんもご用心あれ。(23:30PM)

10月27日(日)
今日は自坊(自分のお寺)の報恩講。

今は一座法要にしているので、異例ではあるが、最初に御伝鈔を拝読、続いて正信偈(同朋唱和)、御文(大坂建立)、法話で三時間の行事です。

朝、高い梯子に上って本堂の軒下に五色の幕を張り、法要の終了後に下ろすのも私の仕事。梯子の上に立つときより降りるときの方が怖いものです。

一番遠方の方は京都の右京区から詣りに来られました。ありがたいことです。

10月28日(月)
今日は大阪の難波別院(南御堂)での報恩講の最終日。

晨朝(朝の勤行)にお経の塾(声明塾)の生徒と共に参拝することになっているので、朝5時に起床、待ち合わせより早く6時10分に別院へ着いた。

山門で遅れてくる人を待っていたら、長いブーツを履いた若いOL風の人が入ってきた。

関係者かと思いこちらから挨拶をしたが返答がない。
その人はそのまままっすぐ本堂へ向かい、ブーツを脱いで本堂に上がった。(いつもなら靴のまま本堂に入れるのだが、今日は報恩講の為に畳を敷き詰めていて土足厳禁でした。)

拝礼して、また引き返してきて、御堂筋を南へ(最寄りの駅とは反対の方向へ)と出ていった。

「夜のお店」の人ではなさそうだが、6時30分に出勤というのも早すぎる。失礼ながら、不思議な人でした。

午前10時からは、報恩講結願日中の法要。

難波別院の法要の為に来阪された御門首の掛役(かかりやく)として法要に出仕。初めての日中での掛役で、出番は4回。

今回の役目は法具の「香箱」担当。数衣(すえ)箱役と息を合わせて所作を行うものだが、可もなく不可もなく(未熟ゆえ、小さなミスは数え上げればキリがないが、ひっくり返ったりぶつかったり落としたり、ということもなく)終了。

注意点はいくつもあるが、実際には1つ以上のことを意識しながらは出来ないもので、ただ練習して体で覚えるのみ、と反省ばかり。
(反省だけならサルでもできるが…)


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