※『宗恩寺だより』第5号〔2006(平成18)年6月〕より
今、悩んでいませんか?
(下)
住職 池田英二郎

 「こころ」は、時として制御が利かなくなり、その人を苦しめます。ですから程度の差はあっても、誰もが出口を求めてあがき苦しんだ経験がある筈です。

 本紙第3号で「人間が頭で思い描く希望的世界に逃避する道を捨てて、現実の世界を本当に生きていける道を説くのが仏教です」と述べましたが、「その通り!」とは簡単にはご納得いただけなかったかもしれません。

 仏教は悩みの出口を私たちにはっきりと示してくれます。しかしそれは仏教を本当に信じることが出来た時に納得していただけることでしょう。「仏教を学んだら悩みがゼロになる」というご利益を最初から期待して求めると、却って仏教の真意を理解する妨げとなると思います。

 私の場合は、死んでしまいたいと悩み思い詰めた中で「この世に生を受けてから現在まで、自分は大地に受け止め支えられ、太陽に照らされて生かされてきていたのだ」と感じる瞬間に出遇いました。

 この世において悩む私ですが、私を育み命あらしめているのもこの世です。頭の中では別の世界を思い描くことはできます。しかし「現実」はこの世以外ありません。そしてこの世のあらゆることは縁によって生じ、縁によって滅していくのです。

 そのような「目覚め」を経験してからは、これからも悩まされる事態は我が身に降り注ぐでしょう。でもそれはご縁です。私が生きるべきはこの「現実の世界」であることを疑うことがなくなりました。

 この世で、我が身がすでに摂取されている(すくい取られている)存在であったと気付く時、自分だけでなくこの世のあらゆる存在が同様になのだと気付く筈です。そうすると、この世がそれまでと同じでありながら違って見えるものです。

 「悩んでいるけれども、真っ暗闇ではない」という心境が真宗の「ご信心」です。悩みながらも「悩むのは生きている証拠」と考えられる余裕も出てきましょう。




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