※『宗恩寺だより』第3号〔2003(平成15)年10月〕より


今、悩んでいませんか?
(上)


副住職 池田英二郎

 テレビ番組の人生相談を見聞きしていると、誰もがみなそれぞれに困難と悩みを抱えているのだな、と感じます。

 その“悩み”とは「思い通りに事が行かないとき」にやってくるものですね。「何もかも思い通りになるので、悩んでいます」と本当に苦しんでいる人はいないでしょう。

 ある結果を見て、私たちはその原因を探り出し解釈します。そしてさも分かったように納得するものです。

 でも、今までの無数の経験を思い出してみてください。その結果に至るまでに幾つもの分かれ道があったでしょうし、自分の力ではどうしようもなかった「偶然、たまたま」と言うしかない要素もあるものです。仏教ではそれを「縁(えん)」と呼び、全ての事象は因(いん)=原因と縁によって果(か)=結果が生じる、と考えます。(それを「縁起(えんぎ)」あるいは「因縁生起(いんねんしょうき)」と呼びます。)

 何事も、始める前には誰も「本当の結果」は分かりません。事前の予想通りの結果が出ることもあれば、まったく予想外に終わることもあるでしょう。いずれにしても、私たちが議論しているのは過去を振り返る「結果論」ばかりです。未来は見通せないものです。

 《望み通りの結果を得る》ことが出来さえすれば悩みもないだろうと考え、《望み通りの結果を得るための特別な力を身につける》ことに血眼になっている人もあります。しかし仏教は違います。

 お釈迦様がご自身で覚られ、我々にも説いて下さった解決法は、《すべての結果を受け容れる》という道です。

 「原因があって結果がある」→「思い通りになる方法があるはず」という身勝手な夢、思い込みを、お釈迦様は「縁起」という道理で打ち破るのです。思い通りにならない事に対して《なぜ自分だけがうまく行かないのか》《私が知らないだけで、きっとうまく行く手段があるはずだ》という考えは、人間が頭で考えた希望的世界であり、現実の世界ではないことを説くのが仏教なのです。

 因(原因)に縁(偶然や宇宙誕生以来の歴史の積み重ね)があってこの果(結果)が生じたのです。過去をいつまでも諦められずにしがみつき続けている、それが“悩んでいる状態”ではないのでしょうか。




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