※『南御堂』2012(平成24)年7月号 「優曇華」欄に寄稿
如来が勤める
浄土真宗の声明
池田英二郎

 私たちが伝統教学もしくは江戸宗学と呼んでいる、高倉学寮の教学とは系統を異にする教学が真宗にありました。それが相伝もしくは相承と呼ばれる教学で、本願寺の歴代とともに、蓮如上人が指定された五箇寺などで伝えられてきました。

戦国時代の日本人修道士ハビアンが著した『妙貞問答』には、「一向宗の開山、親鸞上人より伝へられし『経教信抄(教行信証)』と云秘書あり。此書をは門跡の親子兄弟より外には伝へず」という記述がありますが、これがまさに相伝のことに他なりません。

 『禀承餘艸(ほんじょうよそう)』は、1788年に著された文書で、真宗の儀式に関する古実を紹介し、相伝教学の立場での解説がなされています。

例えば、ご本尊の木像を「還相廻向の大悲利他の正意を示し、報身の仏体、報土より娑婆界に顕現し本廟に影向(ようごう)したまう姿なり」と伝えています。仏師が彫った像を私たちが安置したのではなく、如来の方から姿を顕された荘厳として頂いていくという姿勢なのです。また、勤行声明を阿弥陀如来の直説法と心得るところから、私たちが勤めるものではなく、私たちに説かれる教勅であり聴受するものだとしています。

 50年前の宗祖親鸞聖人700回御遠忌から本山で同朋唱和が始まったのですが、当時の式次第を見ていると、逮夜・日中法要では、一旦退出した後、あらためて正信偈・同朋奉讃を行っています。如来・聖人の恒常説法である伝統法要と、「私が」勤めるという意味を持つ同朋唱和をはっきりと区別していました。

今や、同朋唱和こそが真宗の法要であるという雰囲気があります。しかし、聞法という意味づけで勤めたとしても、「私が勤める」ものという気持ちが根底にあるので、他力の勤行たりえません。そこを相伝教学は「心根はみな自力なり」と喝破しています。

 『禀承餘艸』は、本山の伝統的な法要儀式に教学の裏打ちがある、ということを示しているのです。儀式を改変し捨て去る前に、儀式が何の表現であるかを学ぶことが肝要だと思います。




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