※『花すみれ2011(平成23)年2月号』(発行/大谷婦人会本部)に掲載された拙稿のオリジナルです。
仏様への願い事と感謝
(池田英二郎)
◎願いません・感謝してます

 ご門徒さん宅へおまいりに行った帰り道、通りすがりの女性から話しかけられました。「ねえ、お坊さん。仏様に願い事をしてはダメで、感謝だけをすればいいんですよね?」
 私が「どうして願い事はだめなんですか?」と聞き返したところ、「願い事をすると、成仏しようとしている仏様が、私を心配して引き返して来られるので、成仏できなくなる、と聞いたことがあるので」という事でした。
 でもそれは、ご先祖の成仏のために「願い事をしない」という誓いをたてて願掛けをされているのではないでしょうか。また、その方の話しぶりからは、お願い事をしたい時があっても我慢をして来られたように感じました。
 「お内仏に向かって願い事はしません。」「仏様が守って下さっていることを喜び、感謝のおまいりをしています」というご門徒さんの声をよく耳にします。聞法されていながら「私は願掛けのお念仏をしています」と公言されるご門徒さんはまず無いでしょう。
 確かに、お念仏は願掛けではありません。けれども、「門徒は願掛けをするものではない」「してはならない」と教えられ、自分の本当の想いを押し隠してそう思いこんでいませんか?


◎私たちの願いを聴く仏

 何かにすがりたい気持ちが、押さえようにも押さえきれない時もあるでしょう。そういう方には、私はあえて申し上げています。「阿弥陀様やご先祖様に遠慮や我慢をしているのなら、自分を偽らないで、想いのたけを素直に出したっていいじゃありませんか。仏様は、どんな事でも、すべて聴いて下さいますよ」と。
 自分の中に悩みを抱えていないで、誰かに話を聴いてもらって解消した、ということもよくある事です。仏様なら、秘密を誰かに洩らす、という心配もありません。
 でも、必ず次のことを付け加えます。「何でも聴いて下さる仏様ですが、《願いを聞き届けて下さる》と期待しているのでしたら、それはお約束できません」と。


◎感謝は条件?

 私自身がこれまで悩み苦しんできた事を思い返してみると、都合の悪い事が生じた時や思い通りに事が運ばないことに対しての苦悩ばかりです。皆さんはどうでしょうか。
 思い通りにいって不満だということはありません。だから、都合良く思い通りになれば幸せになれる、と考え、神様・仏様に私たちの言うことを聞かせようとしてしまうのです。でも、無数の縁によって全てが起こっている、という仏教の考えに立てば、「思い通り」ということはこれっぽっちも無いのです。思い通りにいくとかいかないとかは、実は私たちの力の及ばない問題なのです。
 初めに紹介した女性が願っておられた成仏のことですが、私たちの願いとなる以前に阿弥陀様の願いなのです。感謝の念仏をすることを救いの交換条件にはされていません。また、ご先祖様は、阿弥陀様と私たちを引き合わせて下さる仏様だと思ってください。
 感謝しているから良くて、感謝できないからダメだ、と思わなくてもいいんです。大切なのは、阿弥陀様からの呼び掛けの「南無阿弥陀仏」のいわれを聞くところに聞法が始まり、それに聞法は尽きる、ということです。お内仏のご本尊の姿をご覧になる時、このことを思い出していただきたいと思います。




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